青色信号

雑念

ポリリズム

もちろんXGが好きです。全員推せるが特にジュリアたんの青空みたいなボイスはたまらん。彼女の声に俺たちの歌姫アリアナグランデを重ねる90年代生まれは多いに違いない。リーダーの昭和の少女漫画から出てきたような顔面も最高に刺さる。ナチュラルボーン宝塚男役顔。学ランとかエポレット付いた軍服とか着て欲しい。そして私の肩を抱いてください。男顔の美女様がアイドルをしてくれるなんて本当有難い。彼女にハウユドゥー言われると返事を思い浮かべる前に毎回しんでる。

 

色んなモノが巡っている。ついに冨樫が連載再開した。そしてすぐに休載した。(お大事に)けど心の中で呼び続けた甲斐があったと勝手に思っている。みんなも多分そう。さぁフィービーにも念を送ろうぜ!

東京ミュウミュウが再アニメ化された。生田斗真くんがEテレの仕事するらしい。母曰く私の初恋は天てれの斗真くんで、TVに釘付けだったそうな。残念なことに小さすぎで記憶に無い。中学んときやってたイケパラの生田斗真くんが大好きだったので納得ではある。愛しいよね、みんなの中津くん。大奥も再ドラマ化された。ハーレムモノに興味ねぇなと思ってた自分を殴りたくなるくらい原作凄い。私の推しは瀧山にござりまする。

 

授乳に便利だからという理由でマーレットのワンピを色チ買いした。親の自覚って何だろう。1番近い他人として尊重すること?実際はそれが1番難しいんだよなぁ。

babacoのハイソックスにローファーまたはメリージェーンを合わせている。去年予約購入したのに腹の問題で一度も着れずにシクシクしていたpheenyのスラックスがこの春は大活躍している。JOSEPHstudioのシアーなトップスと合わせるのが気楽かつ小綺麗に見えて気に入っている。あったかくなったらクレージュのサイドホールTシャツを合わせる予定。

大好きな課長が移動になった。律儀に連絡をくれてモノノベさんのお陰で知らなかった分野について沢山勉強になった、ありがとうとの言葉をいただいた。ただの社交辞令だとしても嬉しかった。悪阻で苦しんでいたときもこっそり声をかけてくれて、辛いよね、船酔いが24時間続くような感じっていうもんね。赤ちゃんが一番大事なんだから本当に本当に無理しちゃだめだよ。と言ってくれた。言葉選びがスーパー可愛くて優しい課長。新年度からは私の採用面接で失礼な質問をぶん投げてきた女性にかわるらしい。前途多難だ。心がしおっとなったので、物理的に光を増やした。伊勢丹のポップアップジュエリーでベビーあこやのピアスをゲットした。スタメンのピアスキャッチを全てオチナイ君に変えたので快適だ。真珠をつけっぱなしにするのは良くないので気をつけねば。ギャルみのある格好のときはクレドポーの青ラメのグロスを買ってついつい尖りそうになる口元をきらんきらんパワーでならしている。

 

ネイルは磨くだけにしていたが、生活に彩りが欲しくて7フリーや10フリーのものを使い初めた。デボラリップマンへの愛が爆発している。バーニーズで見かけた時、高っけ!!とスルーしていたが使い心地がツヨツヨなので即座に納得した。ペイ甲斐がある。水色にローズゴールドのホロのものが可愛かったのに廃盤だそうな。もっと早く買っておけばよかった。なぜ他のセレショに置いていないのか謎だ。もっと広く取り扱ってくれ。ネイルズインクと同レベルの速乾なうえ、ラメがとにかく美麗だ。ラメネイルはセルフでやると安っぽく見えるので慎重に選んできたが、リップマンはピグメントの細かさや色具合に独自の美意識が詰まっている。薄くサッと塗っただけでも細かい光の重なりのおかげで被膜に深度があるかのように見せてくれる。そしてカチンと硬い質感なのでアーバンな雰囲気に仕上がるのだ。

ベストセラーのDIRTY LITTLE SECRETはセンシャルな印象のグレージュだ。グレージュはとりあえずの事務的芋カラーというイメージが拭えず敬遠していたが、こちらは虹色のシマーなラメが良い仕事をしており、水面に太陽光が反射する光景のようだ。あの眩しくて目を細めるエモーショナルが手元でスグに叶う。

そんでもってリップマンの好きな所はグレーや黒のバリエーションが多いところ。QUEEN BITCHというラメラメのやつはゴージャスでヤンキーでクールでギャラクシーな最高な色だ。Y3Kみがある、ガールクラッシュなアイドルたちを彷彿とさせる。BLACK MAGIC WOMANは爪がつるんつるんの御影石みたいになるのでスポーティな洋服の時キャットラインとこの魔法をかけるだけで「ただの雑な人」「運動着母」になりかけるのをセーフにしてくれる。垂れ目ののんびり顔なので工夫が必要だ。あと役に立つのがmameを着た時。普段フレイアイディー なのに急にmameに手を出した人みたいにならずに済む。mameperfumeのコスチュームなんだよを永遠に言っている老害。大きくなったらブラックマジシャンガールになれると思っていたのに、強欲な壺のほうが近い。

けっこう

香りものが大好きだったのに赤子がいると制限される。ドレッサーの片隅に未開封の香水が悲しく佇んでいる。ローズとライチにバジルのフレッシュさが加わって軽やかな印象のものだった。ジョーマローンで気に入った数少ないものだったので残念だ。

 

母乳は血液から鉄を引いたような何とも言えない香りがする。ミルクのいいにおい。あまくてポワポワしたにおい。そんなのは空想上の戯言で、実際はミルキーにエゴマの香りが加わった感じらしい。なんとなく分かる。美味しそうではない。大人から美味しそうに感じられると危険だしそのほうがよいのかもしれない。

 

出産時もド冷静で一度も叫ぶことなく侍のように産んだ。侍ほど凛々しい見た目をしていないのでニャンピョウ(リアル)のほうが近いかもしれない。痛みを逃す呼吸がかなり上手いらしい。来世は鬼殺隊に入ろうかな。本音は護廷十三隊のほうがいい。卍解できないから無理か。初めて子を抱いた時の感想は生暖かいなという一言だった。ジャンプのアプリでピューと吹く!ジャガーが読めるので疲れていそうな友達にはすすめることにしている。

 

私の大好きなお兄ちゃんこと兄は、長身で骨太な外見に反し細やかな優しさがある男だ。産後、やっと美味しくごはんが食べられるね、陶子何が食べたい?妊婦だと食べれなかった美味しいもの用意しておくねとLINEをしてくれて、退院したら実家の冷蔵庫にイベリコ豚の生ハムの原木が入っていた。

そしてお姉ちゃん(兄嫁)からはお祝いにと大量のベビー用品を貰った。離れて暮らしていると役が抜けきっていたが、私はハチャメチャに妹だということを思い出した。

 

産後は夜間授乳とともにW杯を堪能した。毎日授乳という名の輸血でサッカー選手くらいのカロリーを消費しているので、かつてなく気持ちが入った。実家と東京の離れている間はNBABリーグを実況LINEして盛り上がった。いま日本バスケ界が史上最高に面白い。

 

実家で暮らしていることも子供を産んだことも何も伝えていないのに不思議と旧友たちから連絡が来た。

高校の友達と会ったが、ずっと不妊治療してると思ってたと言われた。私にとって恋愛と結婚と子供は全部イコールではないので不思議な原理だ。同時にそのネットリとした家族、ラブ、情みたいなものは、どう考えても私に足りない要素なので積極的に触れ合っていかなければと強く思うのだった。

翌日、長年イラストだったその友達のLINEのアイコンは子供の写真になっていた。私のことを大切に思ってくれていたのだ。私にとっても大切な友達だなと思う。

 

幼馴染にも会った。世相の観測として新海作品を観る。大好きなスラムダンクの予告編が流れて、この手のやつは劇場で見るやつだなぁと思ったが、結局観に行かなそうな予感だ。多分面白いんだろうけど、何だろうな。

 

仲良しの同期とも会った。私以外は皆男子だ。イシダくんには電報を打っただけで直接結婚のお祝いの言葉をかけられていなかったから、会って話せて嬉しかった。もうすぐ父親になるらしくお節介にも「ふたりは同時に親になる」を渡した。名著だ。

昔話は殆どなく、近況を報告し合うのが主だった。アラサーになるとU25では聞かなかった話題が増え、W不倫だのセックスレスだのTVドラマ みたいな話題が行き交う。これらにリアリティを感じない私は、つくづく地味な生活をしているのだなと思う。

アズマくんからのメロドラマな相談に対し、愛の形はひとそれぞれだよねェ。と、どこまでも誠実でツマラナイ回答をしてしまった。近頃本当にそう思うのだ。アズマくんは金カムとハイキューをすすめてくれた恩人なのに、良い答えをあげられなくて申し訳なく思うのだった。

 

中学の時の元彼タカヒロくんから10数年振りに連絡があった。自分への出産祝いをhirotaka belugaのピアスにしたので、この者たちが呼んだんだろうか。タカヒロくんは結婚もしているし子供もいる。相手は戸田恵梨香さん似の年上の人だ。同期会の後だったのでこれはメロドラマフラグか‼︎と興奮したが、純粋にふと思い出したので息災かという連絡だった。近況を伝えるとめちゃめちゃ祝われた。自分らは人の親だから簡単に肉欲に負けてはいけないよ、子供を尊重すべきだよねという話までされた。えーなに。これはどういう。親としての一般論のハナシ?いや、いやいや。会ったら致しそうだから会わないための予防線をはられた?かんがえすぎ?わからん。昔から年齢にそぐわない包容力のある人で、父親のように諭されることも多かったなと思い出す。彼が幸せに暮らしていることを知れて嬉しかった。hirotaka田中みな実氏が愛用しはじめたらしく(シャルロットシェネも)どうりで欠品が増えた訳だなと思い、小さく舌打ちをした。hirotaka自体は応援したいのに意地悪な私だ。

 

会った人との情報交換ではチ。をすすめることが多かった。原理と思っているものは人それぞれで違うよなぁ。色んな人と会って心を換気しておくことは健康に良い。家時間が中心の生活になるし、仕入れた情報をもとに色んな漫画を読んでみたいと思った。

ハンプティ・ダンプティ

ハンプティ・ダンプティを元に戻せるものは誰もいませんでした。

 

私の人生は産後になった。未来永劫。

お腹がエンプティになった途端身体的な不調から嘘のように解放され、やはり乗っ取りに遭っていた感が否めない。

予想通り粛々と子の世話をしている。新生児を街中で見かけることはまずないので生態については無知だったが、人間というよりハムスターみたいな泣き声で驚いた。きゅーきゅー鳴いている。

まだ立体視のできない瞳は焦点が合わずふよふよと漂う。足元がスカート状になりスナップボタンで留められただけの新生児独特の服はパペットのようだ。

 

街中で見かける数ヶ月児は肌色をしているが新生児の皮膚はぴりぴりと薄く、赤子は本当に赤い色なのだという事実に驚く。

ヨボヨボにむくんでいて関節がぐにゃぐにゃでグロテスクな見た目だが、私はパンダの赤ちゃん大好き委員会なのでその異形感がとてもツボに入っている。

 

世話は想像より過酷でない。育児にまつわるetc.はただの個体差だと実感する。

 

母性は大いなる刷り込みなのでは?というのが正直な感想で、夫のほうが夜泣きに早く気づきあやしていることだってある。

 

もちろん大切な家族が増えたとは思う。しかしどこか甘さが足りない。案の定母乳を作るホルモンはサボりがちで、下手をするとすぐに枯れてしまう。産んだところで、私が私のまま通常運転で母をしている。

 

経産婦の友人とたくさん会ったが、皆が結束して語る「産んだら〇〇」にはなかなか当てはまらず過ごしている。

特段夫が憎い訳でもなく、むしろ手こずりながら子供の世話をしている夫を美しいと思って眺めている。パートナーとしての愛着は増えた。

つわりで太れなかったせいか、毎日スキンケアついでに保湿していたせいか、ただの体質か妊娠線は無く体型もすぐに元に戻った。

産後骨盤が開いて体型が崩壊するという宣伝文句は多くあるが、そもそも恥骨が離開することなんて無い。骨盤の角度は自然的に戻るように出来ている。

適宜簡単なエクササイズをすれば良いだけで、どこかに通う必要も課金の必要もなく、時々骨盤ベルトをする以外は妊娠前の健康づくりと変わらない。

むしろ靭帯が緩むホルモンが出ているのを良いことに足を真っ直ぐにできたし、肋骨をタイトに整えられて満足だ。

元々少ないせいか性への興味が別人のように削がれたという訳でも無い。

 

私ってチガウからと斜に構えておきながら、太古から擦られ続けてきた「案ずるより産むが易し」の一言であっさりと片付いてしまった。極めて王道じゃないか。

 

過酷な妊婦生活だったのでおめでとうと言われてすぐに頷けるか不安だったがあっさりアリガトーと返事しており結局私の支配者は私の思考ですら無いのではないかと思う。ホルモンとか微生物とか無意識とか。

 

しばらく、つかのま、ながいあいだ

エコーのヘッドが当該の場所に当たると、びゃくんびゃくんと大きな音が鳴った。

子供の大泣きの終わりの、切なく搾り出される嗚咽に似ている。

目を丸くした私に看護師さんが言う。これは赤ちゃんの心臓の音じゃないのよ。臍帯血の、つまり、臍の緒を流れる血の音。凄いでしょう。そんな事を言われても感動なんてしなくて、へええええぇなんてグロテスクなミュージックぅ、という感想しか湧かなかった。


入院中、宇多田ヒカルの曲しか受け付けなかった。不思議だ……と思っていた。しばらくするとVogueに彼女のインタビューが掲載された。凄まじい内容だった。

かくいう私はオキシトシンが出ているのか心配になるような母性の無さで、立ち読みのたまごクラブやインターネットで情報収集をする度、皆さんハイで羨ましいですなー。という嫌味な感想しか湧かないのであった。

ヒカル(敬愛を込めてそう呼ぶ)のインタビューを読んで深く安堵した。それと共に心の中で、ですよねぇ!!と絶叫した。ヒカルだってそーなんだ、ヤッタヨカッタイェイ!私も頑張るわ!!!という気持ちになった。


別段腹のことを愛おしいとも思わず、日々人体のフォルムが変わっていくことを「すごい」「改造じゃん」と眺めている。

ただの宿主。べつにそのままで良いのだ。きちんと栄養と休息をとって、別の存在として尊重はしているんだから。


ちょうど昨年の2月頃にマジで子供欲しくねぇウンタカッカッタみたいな日記をつけていた。振り返っても確かに私がいた。笑う。自慰日記が本当に慰めとして作用したのは初めてかもしれない。


お腹が大きくなった現在でも、抵抗感は変わらない。

この世界に対して自分のことをそんなにたいそうだと思っていないので(自分そのものは大好きである)この世界に私のDNAを残したいとは特に思えない。私のDNAから出来た子なんて苦役背負いすぎ〜。とすら思っている。(自分そのものは大好きであるPart2)本人が幸せかどうかは本人が決めることなんだけど、産む行為自体がそもそもエゴの塊で、そこを避けて通れない。しかし半出生主義なのかというとそうではない。どうも自分の心中がフワッとして落ち着かないのでもう一度勉強し直してメンタルの調整をかけないとマズくなりそうに思う。


ハイだと醒めた目線で見つめるのは、自分の遺伝子から出来た他人に対し、自分の人生の焼き直しの如く色んなものを着せたがる人たちがおぞましいからだ。生まれてはじめて思い通りに操作できる他人への支配欲。厚着は見苦しいので嫌いだ。

右見ても左見ても知育、知育、知育。絶対損しないやり方、情報。コンセプトは、理念は、美学は一体どこへ消えた?能力の増大を自己目的化した教育の実践をあけすけに晒しながら、都合の良い所だけ、自分らしさ、多様性〜、ジェンダーSDGs、えぇそうですか。もちろん幼い生き物なんて最初から選択できる能力が備わっている訳ではないのでレールを敷いてあげることは大切であるし、教育の拡充は善いことだけれども。

そもそもDNAが(ポテンシャル!)個人で違う訳で。子供云々の前にそもそも自分と向き合ったことはある?自分自身の当事者として。という気持ち。有能になるために順序通り生きるなんて生きてないのと一緒だと思ってしまう。


凸凹な、生身の人間が沢山いるから世の中は美しく豊かなんじゃないの?偏りのある人間であっても包容していける社会にしたいんじゃないの?

自己肯定感、多様性と言いつつ社会は冷たい方向に走っているように思う。実際に地球の変化は大きい単位でみると氷河期に向かっているらしい。


(冷たいという感覚は私のポジティブな体験の不足に起因する部分も多い。個人的な差別と偏見に過ぎない。かといって個人な体験の集まりが社会でもある。今自分でも咀嚼が難しい。妊婦メンタル〜これを記した1年後の振り返りが楽しみでもある)


最近、仕事の場面以外で自己肯定感や自己愛という言葉がひとり歩きしているのを見かける。

アラ、そんな所をひとりで歩いていたら危ないじゃない。そう言いそうになる。年取ると説教臭くなるって本当だ。

SNSに留まらず、ユマや同世代の友人の口から聞こえてきてマジかとなった。情報化に反して経済は貧しくなり、他者との線引きの必要性が高まったのだ。

しかし本来の(専門用語としての)自己肯定感というのは他者から認められて得るもので、自分で満たすことは大して必要ない。

もちろん自分の特性を想定することは重要だが、情報化とコロナで身体感覚を通しての交流が経たれたことのコンボが、自分を愛することくらい自分で責任を持てという自己責任社会の、自慰の(自助の)協調になっている。

感覚的で良かったことにも過剰な考察が求められ、波があることが許されず水に流せる寛容さが無いのだ。

そうしていると溺れて何も見えなくなったり、小さくかたく干からびてしまう。


私は家を買う時、不動産業者の持参したアンケートを見た。「名門である〇〇学区なのでこの家を購入した」均整のとれた賢そうな文字だった。それらが脳裏に焼きついて離れない。灰色のパサパサとしたコンクリートで出来た我が家。そのエレベーターに乗ると二桁階の子たちはちんまりした身体で流暢に英語を話している。この齢の子の脳の領域、第二言語の方に振るんだ。ヘェ。フゥン。と完全な悪意が私の頭によぎる。職場のカンダさんが自分の子供の保育園の教育プログラムの素晴らしさを語り、うちの子は逆立ちで歩けて英単語も喋れるのだと目を輝かせて話していた。昭和生まれの彼女の幼少期はそういった体験は得難かったのかもしれない。

私は恐らくそれに類する教育を受けたにも関わらずこの仕上がりだ。短い留学なんて経験しなかったほうが幸せだったのではと思うことさえあるし、14歳から必修だった第二外国語は友人のパートナーとの会話以外で出番を得たことが無い。


8月に起こったとある青少年犯罪について悶々としている。少年の背景にある地は私の友人のホームなので日頃から情報が多いのだ。友人の思い出話から、ヒンヤリとした想像が走る。インターネット廃人おじさんの寒いギャグではなく、実生活で見聞きした地の話なので余計なことを考えてしまう。実際には当事者にしか何も分からないからイチイチ私が思考を巡らせることではないのに。


買い物について書こうとしたのに脱線が過ぎる。Twitterに愚痴も書けないくらい不寛容な世の中になってしまった。


経口で栄養を摂れないと腸の絨毛がダメになる。何を考えるにも深刻になるのは、腸脳相関によるのだろうか。それともヒトナントカホルモンだろうか。


とにかく強くなりたくてスワロフスキーのピアスを買った。コッパーカラーのピアスを探していたがひ弱なデザインが多かったのでこれに落ち着いた。どこが強さなのかというとビーダマンのお腹みたいなところ。他はマグネット式のイヤカフが可愛かった。以前バズっていた石ぶっ刺しピアスよりも小さく使い勝手が良さそう。石ぶっピアスはあまりにもアイコニックでスワロフスキーのアレです!となるが、こちらは色石感覚でサラリと使用できそうだ。紫と黄色の2色展開らしい。

強くなりたくてエレガンスラズルのネイルも買った。dopeという偏光グリーン。虫虫しい。仮面ライダーを彷彿とさせる。ソルソホームに売っているダークカラーの観葉植物みたいでもある。ナイトクラブというブルーも買った。チャラい名前に反してかなり品が良い色。フランスのヴィンテージ食器の模様のような緑をはらんだ青色。製菓が趣味なので義務的にバニラビーンズも買った。雑に塗ってもサマになる。新作のピーチベージュに青ラメのやつも買った。コンサバのふりして塗ると鯖。ヌラギラと青光り、サイバーなニュアンスがある。黄緑のアイシャドウも購入し、嬉々として眉毛を黄緑で描いている。出産までの間、私のテーマは破壊された女なので。


ラズルさんはチャレンジ精神!みたいなコンセプトかと思いきやひっそりと保守的な色具合のアイシャドウも作っている。ルナソルのパレットでいっちばんさーきに!なっくなーるよーー!がちな色≒くすまないけどハイライトカラー程浮かない、しかし元の肌より確実に目元を際立たせてくれる明るいベージュを発見したので購入した。

こういうベージュのアイシャドウは求めていないラメが入っていたり、ピンクニュアンスになっていたりで、単色が得意なアディクションほかで探しても絶妙に無いのだ。本当にありがとう。


マタニティウェアが嫌いなので妊婦になってから服を増やしていない。小物が増えてゆく。今更黒ぶち眼鏡が欲しくなり、飽きて使わなくなった鞄を売ってお金を作った。そしてセリーヌの伊達メガネを買った。ルシックラディカルのピアスを合わせる予定。アラサーになっても変身ごっこは心が弾む。

マイハニービー

6週間の絶飲食で皮膚はボロボロだった。脳内にクーニングの女の肖像が蘇る。私は破壊されている。病室の洗面台でハンカチを絞ると手の平の皮膚がずるりと剥けた。傷口は赤く、じゅくじゅくとして痛かった。捕虜や奴隷は低栄養の状態で過酷な作業を強いられていた。どんなに痛くて苦しかっただろう、と考えてしまう。現実の範囲からはるか遠いところに気持ちが飛んでいくほどには参っていた。

病院の中は夢の中みたいだ。社会に居られない状態の人が集まるところだから現実離れした感覚になる。ほんとうは何よりも厳しい現実を突きつけられる場所なのに。

優しく手当てしてくれた看護師さんが実は妊娠8週だと言っていた。寒気づわりが酷いらしい。マイナーな症状だと周囲に理解されなくて辛い。ちなみに寒気づわりは頚椎を縦にバクッと割き、そこに氷のつぶてを投げつけられているような感覚だ。山で遭難した人ってこんな感じなんでしょうね、と励ましあった。まるで私たちが遭難者であるみたいだ。「ここは婦人科病棟じゃないから、理解されづらいこともあるよね、辛いよね。私には、何でも言ってね。気持ち分かるから」その言葉にどれだけ救われただろう。

そりゃ少子化だよなー。産みたくないもん、と思う。妊婦が倒れそうになりながら夜勤をしている。ネット上だと様々な女の意見を観測できるが、それはあくまでも私に対してAIがあてがったもので、現実は理解のない同性もごまんといる。

私は今まで身近な人へ、どの程度親切にできていただろうか。自信があるところとないところと。


それから1ヶ月、未だ血色は悪いままだ。青白い。血色良好マッチョ女もこうなるのか。

ファンデを塗ると顔だけ赤くて首が青い人になってしまう。オリーブ色に変えたらピッタリ馴染んだ。赤みが無いのは寂しいけれど蛍光色が映える。開き直ってモンスターを目指そう。昔チコリータ育ててたし。

唇の皮もボロボロだ。プチプラのリップは荒れたり消えたりの経験しかなく近年の韓国ティントブームに手を出せていなかった。こうやっていると老ける。伊勢丹にバイヤーセレクトの韓国コスメのコーナーが出来たんだっけ?そこだったら信頼できるかも。そう思っていたが体力が思うように戻らず、行くには至らなかった。実際にお店が出来たのかポップアップの情報だったのかすら分からない。


化粧品で感動を覚えたのは久しぶりだ。ゲランのキスキスビーグロウにハマった。低栄養とイネアレルギーで荒れ放題の唇もミチッと保護してくれる。ホールド感が心地良い。スティックタイプのため夏でも衛生的で最高。

仕事用のピーチベージュと粋なマ紫とキャンディみたいなピンクにした。緑の肌に紫を合わせるとなんだかトレンディだ。パントン2022。現実に還ってきた実感が湧いた。

ゲランは祖母の化粧台に並べてあるイメージが強すぎて敬遠していたけれど、もう怖くなんてなかった。思い通りにいく体験といかない体験が増えて、動じない範囲が広がって、少しずつ怖いものが無くなる。上手く感覚を鈍くできるようになる。加齢は楽しい。

蜂の刻印を見つめていると、祖母の家で採れていた蜂蜜の味を思い出す。トチ蜜よりずっとクドくて、強烈な味。大嫌いだったのに、今とても恋しい。


私の不在中に夫はマイメロのジャケット2着と乾麺のジャケットを1着、ベルジャンシューズを2足増やしていた。服装、モードを辞めるらしい。歳だし上品な感じでいいや。と言っていた。モード服たちを大量出品したら仲の良い友達に一瞬でアカウントを特定されたと笑っていた。

子供を産んだのを期にコンサバになるオンナはまわりに結構居たが、夫がソッチだった。私もボーダーズとか着るようになるんだろうか。まだまだ遊びたいのだけど。夫の年齢に追いつくころには変わるのだろうか。しかし身分無相応にデルヴォーの冷蔵庫バッグが欲しいのは事実。欲が出てきて良かった。例え物欲でも。何も望めないことは恐ろしい体験だった。

レセプター

正直に言うと、人から貰って困ったものがある。赤と青のハートの柄の夫婦箸、ラメ入り。ロゴプリントの派手なペア寝巻き、パジャマと言い難い感じの。ハート型のまな板、食材をこぼしやすい。えも言われぬ、おかん風味に満ちたものたち。

しばらく前に渋谷でおかんアート展なるものが開催されていた。抑圧された女性たちがお金をかけずに精一杯魂を表現した作品たちだ。おかんアートとは絶妙にダサく商業価値を産み得ぬ生産性の低いモノであるらしい。


私の母は芸術関係の生業なので与えられるものは子供向けにしては落ち着いたデザインばかりだった。キャラクター物は最低限で、あったとしても母の手刺繍で色調補正されシックに落とし込まれたものやワンポイントに品良くデザインされたおあつらえのものだった。周囲の大人からは良いものを身につけていると褒められ、まるで自分が特別になれたようで優越感を感じていた。プリントTやキラキラした靴は手に入れたことが無かった。そもそも憧れる隙が無かったのだ。

3の時にうっかり、ハローキティは可愛いと思うけど身につけたいと思わないと発言してしまったことがある。ツーッと冷たくなる空気に慌てて話題を変えた。現代風に例えると、推しは素敵だと思うけど、推しの姿のプリントTもアクスタも缶バも身につけたいとは思わない。私にとってはこの抵抗感と同様だ。

自分の外のものを素直に自分と同一化できない。自分の凹があれば自分の凸で埋めて隙を与えない。生物としての自他の線引きや猜疑心。それが強過ぎた。可愛い子供ではない自覚はそれなりにあったが、自分自身のことを客観的な視点を持った大人っぽい子だと思い込み高みに登った気でいた。

実際は斜に構えたスタイル自体、他人の価値観のレールの上だからこそとれるポーズだった。そのポージングは私の足元をぎこちなくした。四肢の感覚の柔らかさを閉ざし、心の奥行きをの狭いものにしていたと今になって思う。怖がりの、カチコチの、ギチギチの、躍動感が無い子。かがやきの無い子。


小さな頃他所の家でハウスダストアレルギーを起こし気道閉塞したトラウマなのだろうか。自分の感覚と違うものを自分のテリトリーへ招くのは怖くて堪らない。今でも。情けないくらいに。私の母親におかん的要素が皆無だったことはおかんアイテムたちとの間合いにきっと影響していると思う。


それでも、宝物にしているものがある。ナカムラのおばちゃんの折り紙だ。私の退職の時に折り紙で薔薇の花を折って、箱に詰めたものをプレゼントしてくれた。何かに行き詰まる度に引き出しを開けてそっと取り出す。立体の薔薇は本物のように壊れてしまいそうで、儚げだ。元々はベタ塗りの一枚の紙であることは知っているが、私はこの薔薇から確かな息づかいを感じる。おばちゃんの優しくて温かな感情が、私の視覚を通して流れ込んでくるのだ。

ハート柄のお箸が既製品だとしても、その人がくれた時点で、オリジナルの愛情の形である。なのにどうしても受容が出来ない。

おばちゃんのプレゼントはまごうことなき、真・おかんアイテムだが、かけがえのない大切なものだ。一体何が違うのか。病院のベッドの上でしばらく考えた。とどのつまりは私がその人を信頼しているかどうか帰依するのだった。不信な相手の凸は阻むのだ。簡単に受容体を開けていたら、相手の凸のせいで気道が詰まるかもしれない。


退院して自宅に戻ると役割の無い彼等がキッチンやクローゼットに佇んでいた。走馬灯を経験して色んな部分が書き変わってしまった私でも、彼等とどう付き合っていくかは対処法に悩むままだ。夫が触らなかった私のドレッサーには薄ぼこりが被さっており、それに触れた私は大きくくしゃみをした。少しのサボりくらい受け入れたかったのに、カチコチの、ギチギチの、アレルギーの子のままだった。

宿主

ヒトのDNA8%はウイルス感染によって搭載されたものらしい。また、人の妊娠というシステムは一億数千年前に侵攻してきたウイルスが胎盤という存在を形成し、現在の仕組みに至ったそうである。


病が襲い来るのは大人に限ったことではない。下期は教育関係との連携が多くあった。児童心理は実務経験の無い分野なので様々な先生に教えを請いながら動いていた。しかし、子を持たぬのでなにかと想像力の動員に努力が必要だった。同時に、子を持つことは想像していた以上の責任が付き纏うことを痛感した。

親の影響から子を守らなげばならないケースもあった。親自体が養育に万全な状態でなくなっても、子を社会で救うことができないのか。現実には私の望み通りの答えは無かった。しかし、それでも、できることを精一杯やろうと思った。どんなに少しの関わりでも、暖かい眼差しでいる。ひとりじゃないと感じてもらえるように尽くす。どうか君の未来に光がありますようにと心の底から願う。環境だけでは難しい、感情には感情でしか、慰めでしか先に進めないことは絶対にあるのだ。私ひとりの力は小さくても、今すぐに現実が変わることはなくても、この地球の平和を本気で願ってる。それはとても重要なこと。それは自身の子の有無に関わらず不変な事項。社会に対し、ひとりのアダルトとしての包容力は持っていようと思っていた。経営している事業のほうもジャンルでいえば社会貢献型事業に該当する。これで十分、私の星のもとの役割は、充分だと思っていた。


私は自分の体のことは自分に選択権があると思っていたし、いる。自分がより良く生きられるように判断をすべき。つまり、妊娠の継続をやめようと思っていた。


水瓶座は自由を奪われたら魂が死ぬのでそもそも結婚に向いていない。絶対という言葉を信用していないのだ。そういうもんだ。星座による偏見は生きれば生きるほど拭えない。季節によって咲く花は違うのだから。結局私たちは天文の観測により拓かれた星の生き物ーーーー等と考えて過ごしていた。気がつくと一口の水も飲めなくなった。ヒトナントカホルモンによる作用らしい。日に何回もシャボネット色をした胆汁を吐き、体からアンモニア臭が漂うほど細胞は分解され続けた。私の思考と意思は消え失せ、そのまま入院となった。


私の中の二つ目の心臓は、私とは同一でないDNAだ。そしてそれはどんな風にサインを送っても信頼関係を結べる程成熟していない。つるんとしている。何の引っかかりもなく、ひたすらつるんとしている。つるんとしたものに、とんでもないスピードで侵略されるのだ。1秒毎に感覚を書き換えられる。チョコレートを食べればタバコの吸い殻の味がした。ひと口水を飲めば脳のくも膜を燻されているような奇妙な頭痛が始まり、時には首の神経を中心に上半身に雹を吹き付けられるような寒気が襲った。

痛みや不快感は一度始まると最低でも3時間は続く。辛くて眠ってしまいたかったが、あまりにも不愉快なその感覚たちはむしろ眠りを阻み、意識がある限り苦痛に耐える他なかった。だったらいっそのこと気絶させて欲しい。繰り返し神や仏や先祖に祈った。過去の懺悔もした。むかし祖母が唱えていた真言も唱えた。自分の身体が書き換えられてしまうと、見えないなにかにすがるしか成す術がなかったのだ。眠れない日が5日ほど続いた時、臨死体験というものをした。


気がつくと嵐は過ぎていた。母親からお守りとお札が送られてきて夫が自宅に備えてくれたタイミングで解放されたようだ。そんなことが実際にあるのかと驚いた。数日経って落ち着いた頃、積読に手を伸ばした。私は時折傷口に塩の手法を取る。村田沙耶香さんの生々しい表現は今の私にはスパイスではなく良い塩になると思った。実際、24時間点滴に繋がれ、両足を弾性ストッキングで縛られ、内臓器が物理的に変容している私には、痛い程共感できる結果となった。ここからカタルシスを感じるなんて奇妙な体験だ。


感覚の中にしか無い美しさはあって、それが私を生きることで、それが私が私たる理由で、自己信頼の根幹だ。同時に各々の感覚を持てるからこそ他者との交わりで世界は彩り豊かになる。

生きることは他者からしか得られないことに溢れている。


自分の感覚を見失ってしまうことはどんなに辛いことなのだろう。きっと仕事で対峙する加害児童にも被害児童にもその親きょうだいにも伝えたかったことなのだ。おそらく私が次に口にする「辛かったね」の一言には今までの同じ言葉よりも血が通っている筈だ。君は自分を信じたいんだよね。でも、どうして良いか分からなくて、「辛かったよね」


病院都合で移室があった。窓からは名所として知られる桜並木が見えて、毎日この高さからのこの景色を観れることは二度と無いだろうと思った。

東京では入学の花だが私の故郷は3月末に桜が咲くので、桜は卒業の花だ。

ふと感覚で分かった。私の2回目の思春期が終わろうとしている。卒業なのだ。散った桜は8階の窓の高さまで飛んできて、目の前でチラチラと舞う花弁は結婚式で浴びたフラワーシャワーを思い出させた。

私は東京のオンナじゃない。東京のオンナからするとスーパー早婚だ。すっかり忘れていたが、もうすぐ数回目の結婚記念日だ。新緑になる頃には夫と手を繋いで八芳園を散歩したい。

母くらいの年と思しき看護師さんが、「来年は赤ちゃんと3人で桜が見れるね」と声をかけてくれた。答えは分からない。だけど、つべりもこべりもきっと青春コレクションだ。

風吹いて前髪乱れてもまぁいいよね、私に変わりはない。ネガティブ言っててもいいことなんてないし。シンプルにそれに尽きる。