青色信号

雑念

宿主

ヒトのDNA8%はウイルス感染によって搭載されたものらしい。また、人の妊娠というシステムは一億数千年前に侵攻してきたウイルスが胎盤という存在を形成し、現在の仕組みに至ったそうである。


病が襲い来るのは大人に限ったことではない。下期は教育関係との連携が多くあった。児童心理は実務経験の無い分野なので様々な先生に教えを請いながら動いていた。しかし、子を持たぬのでなにかと想像力の動員に努力が必要だった。同時に、子を持つことは想像していた以上の責任が付き纏うことを痛感した。

親の影響から子を守らなげばならないケースもあった。親自体が養育に万全な状態でなくなっても、子を社会で救うことができないのか。現実には私の望み通りの答えは無かった。しかし、それでも、できることを精一杯やろうと思った。どんなに少しの関わりでも、暖かい眼差しでいる。ひとりじゃないと感じてもらえるように尽くす。どうか君の未来に光がありますようにと心の底から願う。環境だけでは難しい、感情には感情でしか、慰めでしか先に進めないことは絶対にあるのだ。私ひとりの力は小さくても、今すぐに現実が変わることはなくても、この地球の平和を本気で願ってる。それはとても重要なこと。それは自身の子の有無に関わらず不変な事項。社会に対し、ひとりのアダルトとしての包容力は持っていようと思っていた。経営している事業のほうもジャンルでいえば社会貢献型事業に該当する。これで十分、私の星のもとの役割は、充分だと思っていた。


私は自分の体のことは自分に選択権があると思っていたし、いる。自分がより良く生きられるように判断をすべき。つまり、妊娠の継続をやめようと思っていた。


水瓶座は自由を奪われたら魂が死ぬのでそもそも結婚に向いていない。絶対という言葉を信用していないのだ。そういうもんだ。星座による偏見は生きれば生きるほど拭えない。季節によって咲く花は違うのだから。結局私たちは天文の観測により拓かれた星の生き物ーーーー等と考えて過ごしていた。気がつくと一口の水も飲めなくなった。ヒトナントカホルモンによる作用らしい。日に何回もシャボネット色をした胆汁を吐き、体からアンモニア臭が漂うほど細胞は分解され続けた。私の思考と意思は消え失せ、そのまま入院となった。


私の中の二つ目の心臓は、私とは同一でないDNAだ。そしてそれはどんな風にサインを送っても信頼関係を結べる程成熟していない。つるんとしている。何の引っかかりもなく、ひたすらつるんとしている。つるんとしたものに、とんでもないスピードで侵略されるのだ。1秒毎に感覚を書き換えられる。チョコレートを食べればタバコの吸い殻の味がした。ひと口水を飲めば脳のくも膜を燻されているような奇妙な頭痛が始まり、時には首の神経を中心に上半身に雹を吹き付けられるような寒気が襲った。

痛みや不快感は一度始まると最低でも3時間は続く。辛くて眠ってしまいたかったが、あまりにも不愉快なその感覚たちはむしろ眠りを阻み、意識がある限り苦痛に耐える他なかった。だったらいっそのこと気絶させて欲しい。繰り返し神や仏や先祖に祈った。過去の懺悔もした。むかし祖母が唱えていた真言も唱えた。自分の身体が書き換えられてしまうと、見えないなにかにすがるしか成す術がなかったのだ。眠れない日が5日ほど続いた時、臨死体験というものをした。


気がつくと嵐は過ぎていた。母親からお守りとお札が送られてきて夫が自宅に備えてくれたタイミングで解放されたようだ。そんなことが実際にあるのかと驚いた。数日経って落ち着いた頃、積読に手を伸ばした。私は時折傷口に塩の手法を取る。村田沙耶香さんの生々しい表現は今の私にはスパイスではなく良い塩になると思った。実際、24時間点滴に繋がれ、両足を弾性ストッキングで縛られ、内臓器が物理的に変容している私には、痛い程共感できる結果となった。ここからカタルシスを感じるなんて奇妙な体験だ。


感覚の中にしか無い美しさはあって、それが私を生きることで、それが私が私たる理由で、自己信頼の根幹だ。同時に各々の感覚を持てるからこそ他者との交わりで世界は彩り豊かになる。

生きることは他者からしか得られないことに溢れている。


自分の感覚を見失ってしまうことはどんなに辛いことなのだろう。きっと仕事で対峙する加害児童にも被害児童にもその親きょうだいにも伝えたかったことなのだ。おそらく私が次に口にする「辛かったね」の一言には今までの同じ言葉よりも血が通っている筈だ。君は自分を信じたいんだよね。でも、どうして良いか分からなくて、「辛かったよね」


病院都合で移室があった。窓からは名所として知られる桜並木が見えて、毎日この高さからのこの景色を観れることは二度と無いだろうと思った。

東京では入学の花だが私の故郷は3月末に桜が咲くので、桜は卒業の花だ。

ふと感覚で分かった。私の2回目の思春期が終わろうとしている。卒業なのだ。散った桜は8階の窓の高さまで飛んできて、目の前でチラチラと舞う花弁は結婚式で浴びたフラワーシャワーを思い出させた。

私は東京のオンナじゃない。東京のオンナからするとスーパー早婚だ。すっかり忘れていたが、もうすぐ数回目の結婚記念日だ。新緑になる頃には夫と手を繋いで八芳園を散歩したい。

母くらいの年と思しき看護師さんが、「来年は赤ちゃんと3人で桜が見れるね」と声をかけてくれた。答えは分からない。だけど、つべりもこべりもきっと青春コレクションだ。

風吹いて前髪乱れてもまぁいいよね、私に変わりはない。ネガティブ言っててもいいことなんてないし。シンプルにそれに尽きる。