青色信号

雑念

シナジー

今日はいとことの約束の日。体が重くて、見栄っ張りな私なのにメイクが進まなかった。近所のホテルでかき氷を食べた。上手い。モンブラン味は中にカシスのソースが入っていてニクい。最高の作り。何度でも思うがパティシエは芸術家だ。「ほっくり重厚なものをきりりとした氷と掛け合わせるならば、酸味を忍ばせるのが作法だよねぇ。馴染むし飽きない。」と言う。私は一言一言が評価的で本当にウザい。感受性が豊かで言語化能力が優れていると思って欲しいのに、そうは思ってもらえなくてただの口煩い人だ。分かっているのに口が止まらないさみしがりだ。

可愛いいとことアイドルの話をして映像を見て盛り上がった。人と関わらないとテンションの使い方がわからない。引き際が分からなくて、押し付けがましくて、いつもさみしくて、まったく困ったアラサーだ。

 

あくる日のAM、仕事が無かったので磯野真穂さんのダイエット幻想を読んだ。時間が無いので終盤の気になった章だけ読んだ。期待通りとてもよかった。特に人間の心を点ではなく線として捉える話は新鮮で、ハァ!と膝を打つ衝撃だった。自己分析は点を捉えただけ。だから私はいつも自分とはぐれる。さみしくて悲しい気持ちになる。もっと感覚的になりたい。自分だけの線を描けるように感じる心身でありたい。

読書の合間にTwitterを覗くと「え、三浦春馬。」「三浦春馬くん。びっくり。」との言葉が並んでいた。最近のヲタクは気持ちが高まった時に「待って……。」等の表現を多用しがちなので、きっと春馬君のインスタで佐藤健とコラボしたliveでも上がって―皆が「尊い!」と衝撃を受けている、みたいな出来事だろうと思って調べはしなかった。

帰宅するとまさかの訃報でショックだった。日本で、同世代の有名人の自死というのは初めてだ。心が痛い。とても痛い。ちょうど5月にいとこと夫とラストシンデレラを見て、彼のコロコロと変わる表情に、屈託のない笑顔に、感激したところだった。当時は何も考えずに見ていたけれど、改めて見ると彼にしかできないチャーミングさに心奪われた。その直後だったので、余計にだ。

みんなはあまり話題にしていなかったけど、6月にw-inds.の龍一君も精神面の理由で脱退した。彼の躍動感の溢れるダンス、特に目線と手の使い方、そして2枚に割れたような色っぽい声が好きだった。若くて才能があるスタアでも絶望するのかーと思っていた矢先だった。

心の中で色んなことに「のに」をつけた。若い「のに」才能がある「のに」有名な「のに」お金がある「のに」。一通りつけて、同時に言い聞かせる。そもそも絶望と才能の相関関係なんてない。だれしもに起こりうることだ。いくら「のに」をつけても本人の中にしか本人の価値は生じ得ない。

そもそも自分に価値が無くなったと感じた=自死とは限らない。もっと選択的な場合だってあるから。

でも、辛い。たくさんの人の心を動かす影響力のある人が、美しいシナジーを起こすことのできるあの人が、そうなってしまったことが辛い。