青色信号

雑念

マイハニービー

6週間の絶飲食で皮膚はボロボロだった。脳内にクーニングの女の肖像が蘇る。私は破壊されている。病室の洗面台でハンカチを絞ると手の平の皮膚がずるりと剥けた。傷口は赤く、じゅくじゅくとして痛かった。捕虜や奴隷は低栄養の状態で過酷な作業を強いられていた。どんなに痛くて苦しかっただろう、と考えてしまう。現実の範囲からはるか遠いところに気持ちが飛んでいくほどには参っていた。

病院の中は夢の中みたいだ。社会に居られない状態の人が集まるところだから現実離れした感覚になる。ほんとうは何よりも厳しい現実を突きつけられる場所なのに。

優しく手当てしてくれた看護師さんが実は妊娠8週だと言っていた。寒気づわりが酷いらしい。マイナーな症状だと周囲に理解されなくて辛い。ちなみに寒気づわりは頚椎を縦にバクッと割き、そこに氷のつぶてを投げつけられているような感覚だ。山で遭難した人ってこんな感じなんでしょうね、と励ましあった。まるで私たちが遭難者であるみたいだ。「ここは婦人科病棟じゃないから、理解されづらいこともあるよね、辛いよね。私には、何でも言ってね。気持ち分かるから」その言葉にどれだけ救われただろう。

そりゃ少子化だよなー。産みたくないもん、と思う。妊婦が倒れそうになりながら夜勤をしている。ネット上だと様々な女の意見を観測できるが、それはあくまでも私に対してAIがあてがったもので、現実は理解のない同性もごまんといる。

私は今まで身近な人へ、どの程度親切にできていただろうか。自信があるところとないところと。


それから1ヶ月、未だ血色は悪いままだ。青白い。血色良好マッチョ女もこうなるのか。

ファンデを塗ると顔だけ赤くて首が青い人になってしまう。オリーブ色に変えたらピッタリ馴染んだ。赤みが無いのは寂しいけれど蛍光色が映える。開き直ってモンスターを目指そう。昔チコリータ育ててたし。

唇の皮もボロボロだ。プチプラのリップは荒れたり消えたりの経験しかなく近年の韓国ティントブームに手を出せていなかった。こうやっていると老ける。伊勢丹にバイヤーセレクトの韓国コスメのコーナーが出来たんだっけ?そこだったら信頼できるかも。そう思っていたが体力が思うように戻らず、行くには至らなかった。実際にお店が出来たのかポップアップの情報だったのかすら分からない。


化粧品で感動を覚えたのは久しぶりだ。ゲランのキスキスビーグロウにハマった。低栄養とイネアレルギーで荒れ放題の唇もミチッと保護してくれる。ホールド感が心地良い。スティックタイプのため夏でも衛生的で最高。

仕事用のピーチベージュと粋なマ紫とキャンディみたいなピンクにした。緑の肌に紫を合わせるとなんだかトレンディだ。パントン2022。現実に還ってきた実感が湧いた。

ゲランは祖母の化粧台に並べてあるイメージが強すぎて敬遠していたけれど、もう怖くなんてなかった。思い通りにいく体験といかない体験が増えて、動じない範囲が広がって、少しずつ怖いものが無くなる。上手く感覚を鈍くできるようになる。加齢は楽しい。

蜂の刻印を見つめていると、祖母の家で採れていた蜂蜜の味を思い出す。トチ蜜よりずっとクドくて、強烈な味。大嫌いだったのに、今とても恋しい。


私の不在中に夫はマイメロのジャケット2着と乾麺のジャケットを1着、ベルジャンシューズを2足増やしていた。服装、モードを辞めるらしい。歳だし上品な感じでいいや。と言っていた。モード服たちを大量出品したら仲の良い友達に一瞬でアカウントを特定されたと笑っていた。

子供を産んだのを期にコンサバになるオンナはまわりに結構居たが、夫がソッチだった。私もボーダーズとか着るようになるんだろうか。まだまだ遊びたいのだけど。夫の年齢に追いつくころには変わるのだろうか。しかし身分無相応にデルヴォーの冷蔵庫バッグが欲しいのは事実。欲が出てきて良かった。例え物欲でも。何も望めないことは恐ろしい体験だった。