青色信号

雑念

池袋を過ぎたってこの愛は永遠

私は東京という場所に憧れたことが人生で一度も無かった。上京したい!は疎か観光してみたいとすら思わなかった。ディズニーランドに行きたいとも。千葉だけど。それを発言すると実家が埼玉とか千葉とか群馬とか、あと静岡や新潟から上京してきた人たちが「国民の何割はディズニーランドに行ったことがある」だの「東京はモノノベさんの地元と違って何でもあるっしょ?凄いっしょ?」と言ってきた。特に池袋の美容師、お前らだけは。

私の生まれたところは温暖な海辺の街だった。下水道の通らない、街に本屋のない、風が吹けば稲や蓮が茎の部分から大きく波打ちウェーブを描く。夕日は海に溶けるように沈む。地球の丸さを感じるところ。「田舎者なんです」というと関東人はみな山をイメージするらしくマインドセットの違いを手軽に感じられる機会だった。次の職場でも色々言われるんだろうな。「田舎」「都会」と「個人をとりまく環境」の区別がつかないのでは困る。私は中学生からひとりで電車やバスを乗り継いでいた。地下鉄や地下街の存在にも驚かない。そういえば地元もバスのりばんとこにESTNATIONがあった。新宿もそんな感じじゃないっけ。というか中2でヨーロッパに超短期留学しているので以下略。留学経験者は皆キラキラした思い出を語るが私は最悪だった。希望制の留学ではなく、私立校ならではの強制イベントだ。無邪気に楽しめるほど子供じゃなく、大人になるには未熟すぎる精神年齢だった。自分の語学力のみで見知らぬ外国の家庭で一人過ごすのは辛く、むしろ人生最大のトラウマとなった。進学も就職も地元で済ませる程。


別にファッションビルに興味は無かった。夫が東京に戻るとき、23区内で一番田舎にして。というのが唯一のリクエストだった。美しい国立公園のそばにしてくれた。国民的ミュージシャンが若い頃その池のほとりで曲作りをしていたそうな。それが美談として語られている。は?と思う。今は愛や夢や希望を語る彼らだが、初期は相当尖った歌詞だった筈だ。丸くなったのは金を持ち、不倫して、妻子を裏切ってからだ。LADとかもそうだ。何で大統領って単語はチン毛って意味って歌ってた人たちが愛とか夢とか希望を歌うようになったのだろう。どこか気持ち悪い。精神的な成熟かと言われればそうなのかもしれないが、彼らの日頃の発言には少年のような印象を受ける。やはりアーティストという所業は人並みの感覚では成せないものなのだろう。私の兄のバンドも遊び程度で終わり、メンバーたちは皆医者になった。アーティストにはなれなかった。ちなみにこの公園の池は昔お姫様が入水自殺した伝説があるそうな。綺麗だけどどこか薄気味悪い。


池袋は良い。綺麗ではないが。美味しい物好きの義理姉さまの情報でその街を知った。お姉様とは食の好みが似ている。バウムクーヘンはハリエ派。西武池袋の地下には好物の阿闍梨餅が売っている。南公園のすずめやのフワフワしっとりで甘さ控えめなどら焼きと、カリッとしたクルミの入った最中、それがある所も良い。しかし何が1番良いかというと、ミラクルに在庫があるところだ。新宿や渋谷、東京方面は可愛い服の在庫が一瞬で無くなる。が、池袋は絶対にある。久しぶりに池袋へ行くと、様々な商品が驚愕の値段になっていた。Repettoのシューズ、ルールロジェットのブラウス、mameのニットを買った。普段なら完売であろう物もSALEになっていた。Repettoのシューズが日給以下。SALEの恩恵に預かりながら今更経済状況へのダメージを感じて恐ろしくなった。仕事上春から外出を制限していたため、じつは世の中の変化を何も実感できていなかったのだ。セレクトで置いていたバロックパールのネックレスが可愛かった。お給料が入ったら買おう。失業するけど。そういえばダメージを負っているのは私もだ。


今まで池袋過ぎたってこの愛はえ・い・え・んって、どういう意味なのか良く分からなかった。古い歌だし地下鉄が出てくるから湘南新宿ラインで大宮へ帰る女の子では無い。きっと東京の男の子と遊んで、有楽町線和光市へ帰る女の子の歌なんだろう。上京してからやっとイメージがついた。私が違う場所に産まれていたら一体どんな人間になっていたんだろう。私はまだ東京のことをよく知らない。首都圏と言われる場所のことはもっと分からない。知らなくても特に困りそうにない。