青色信号

雑念

主演女優

「このお花、なんていうの」「芍薬だよ。陶子ちゃんみたいに綺麗でしょう。あなたに喜んでもらうために育てたんだよ」


母方の祖母には大変甘やかされて育った。私の為にと庭をつくり、果物や花を栽培していた。烏骨鶏や蜂の巣箱まで飼っていた。祖母の家で採れる桃やキウイやさくらんぼが大好きだった。今年も例年通り敬老の日に祖父母宅へお菓子を送った。すぐに丁寧なお礼の電話が来た。不愉快だった。違う、悲しかった。久しぶりに呪いの味がした。


祖母は写真が大嫌いだ。理由は自分の容姿が醜いからだそうだ。祖母は働いたことが無い。祖母の生まれた家は裕福でなかったからだ。祖母が女学校を出るタイミングで祖父の家から縁談が来た。内心嫌だったが、自分の親兄弟のために断れなかったそうだ。というのも事実であるが、祖父の器量の良さの影響も大きかったようだ。良い男に毎日お嫁さんに来てくれませんかと訪ねて来られ、こんなブスがハンサムな男に口説かれる機会は2度と無いから幸運かもしれないと思ったそうだ。祖父の家は地元の良いお家で、最悪なことに末っ子長男だった。結婚後は義母や義姉から馬鹿にされ、こき使われ、聞く限りでは嫁という名の奴隷だった。祖母は奴隷根性が染みついている。祖母には小さな頃から「人より良い物を持ってはいけない。人より目立ってはいけない。そんなモノは絶対嫌われるから。犬みたいにニコニコして言うこと聞いていたら可愛いがられるんだから」と繰り返し聞かされていた。子供ながらに祖母の願いを叶えてやれないことを分かっていたから、祖母に対しどこか心の距離を置いていた。嫌ですと断っても、役割決めの日に仮病で欠席しても、お遊戯会の主役や大会の選手宣誓や卒業式の目立つセリフの役は私になってしまう。私はどんなに目立たなくしようとしても出る杭なのだ。異形。子供の頃、というか大集団での生活が必要な頃はそんな自分が嫌いだった。24歳くらいになって自他の境界に折り合いが付き、やっとそういう星のものとに生まれたのだと諦めることが出来た。自分の中では随分長く時間のかかった課題だった。私の生育歴が世間的にきらきらお星さまに見えようと私にとっては大方が他人に踏まれたガラス片だ。もちろんそれなりに価値は感じているが。


私には未婚のおばが数名いる。母の姉と妹は2人とも祖母宅で暮らしている。祖母は自分のトラウマからどんな所に嫁がせるかということに過干渉になり、私の母以外の娘を手元に置いた。呪いの伝播だ。恐ろしい。敬老の日の後電話口で「陶子ちゃん、おばあちゃん、また背骨がひとつ潰れちゃったのよ。アナタのお母さんが歳を取っておばあちゃんと同じようになったらどうするの。そんなに遠くにお嫁に行って」と言われた。私を芍薬のようだと褒めるのと同じ声。不自由な時代で他人様の顔色と子供を操作することでしかアイデンティティを形成できなかった女性だ。己の欲は無く、ケア労働と子育てができることが『優れた女』だとされた時代。本当は謝って欲しいのだろうが言えなかった。一通り身体の心配の言葉かけをした後「母さんが歳を取ったらその時は私の家に住まわせるから別に問題無いよ。車が無くても不便はしない場所の方が楽しく暮らせるよ」と答えた。もちろん祖母は死んだ他人様のことまで引っ張り出してきて「そんなことをしたら、お父様方のお墓はどうやってみるの。お父様方のおばあちゃまが悲しむわ」と言った。こんな時は兄に頼るに限る。「兄さんたちが地元にいるでしょ」と答えた。すまん兄。ありがと兄。そして祖母には悪いが父方の祖母は1mmも悲しんだりしないだろう。彼女は私にそっくりだ。身内に恵まれなければ歩いて必要な友達を探しに行った。自分が欲しいものは欲しいと言って手に入れてきたタイプだ。納得が行かなければ相手が祖父であろうと思いっきりケリを入れていたのを私は知っている。


祖母の抱える生きづらさへの悲しみが薄れるならば何でも言ってくれて良い。そう思っている筈なのに、私のことを理解してもらえないと感じた時には不愉快で、クドクドと説き伏せたい気持ちが湧いてしまうことがある。しかし私のこの気持ちも、期待と悲しみによるものだ。

私の頭部はナンセンスなメロンパンを搭載しているため時々味が分からなくなる。不愉快の奥に期待と悲しみの味がすることに気付かねばならない。最も大切なのは、承認と悲嘆の欲求だけでなくきちんと大きな愛情があることに気づくことだ。他人に生き方について口出しされるのと、祖母から口出しされるのは含まれる意図の味わいが全く違う。もちろん他人が押し込んできた味のおかしな食い物だったら容赦はしない。ちなみに私はこの性分によって女らしくない女だと言われる。女として優れていないというジャッジ。笑える。男女脳の神経神話を信じているとかいつの時代だ。理屈っぽいのは私という生き物のメロンパンの溝のクセが強いだけって話なのに。

人間はアンビバレンツな生き物だから言葉にタグ付けをして仕分けて、論破して済ますのは良くない。もし味が五角形の5種類しか無いんだったら生きることに5日で飽きる自信がある。同じ言葉を吐かれても、そこに潜んでいるものは違う。見聞きしただけでは絶対に味は分からない。歯ですり潰して、舌で転がしてどんな味がするのかが重要だ。表裏が混在していることをきちんと感じていないと簡単にAIに脅かされてしまう。香料で作ったニセのメロン味と本物のメロンが同じ五角形を描いていたとしても全く違うのだ。ファンタグレープはブドウの味はしないだろう。フレーバー。奥行き。含み。ニュアンスの豊かさを感じることが人間の醍醐味。そうなると不愉快だとか悲しいだとか憂いているだとかいう感情は絶対必要なのだなと思う。大切にしてやる必要はないけれど。


この1年で2回ほど似ていると言われた女優さんが亡くなった。たった2回だから殆ど似ていない。恐らく人中の長さくらいしか共通点がない。現実はどうあれ、似ていると名前を出された時はめちゃくちゃ嬉しかった。小さな頃、彼女の主演ドラマを楽しみにしていたからだ。『ランチの女王』そして、お気に入りだった『不機嫌なジーン』。小さかったからうろ覚えだが、動物の遺伝子学の研究者が主人公だったように思う。今気づいた。私が彼女に似ているのいうのは、ルックスではなくジーンの屁理屈さと不器用さなのかもしれない。そんな意味が含まれているのか。美人と褒められたと思い込んで舞い上がったのにな。恥ずかしい。チキショゥ……。祖母から呪いを受けても、彼女の演じる意思と行動力のある女性たちは小さな私を励ましてくれた。明るく大胆な演技をしていてもどこか品が良く、爽やかさのある素敵な女優さんだった。それが彼女に対するイメージだ。

精神疾患の経験や学習の機会が無い人には理解し難いかもしれないが、どれだけ朗らかに前向きに見える人であろうと、人間はいとも簡単にバランスを崩してしまう。そんなの個人の問題といえば簡単だけど、そう考えているそこのお前も人間に生まれた以上バランスを崩す可能性があるんだぞと言いたい。だから協力することが必要なのだ。みんなもっと他人への、当たり前だと飲み込んでいる事象について疑ってみるべきだと思う。理解からしか始められないのだから。ちゃんと噛んで、舌で転がして、どんな味か感じていないと食べたことにはならないのだから。咀嚼能力が無さすぎる。歯が抜け落ちてどんどん飲み込むだけになっていく衰退国家に対してそんなことボヤいても犬に論語だが。

こんなこと言って一体私は何様のつもりだろう。王様か?それなら私のキャッチコピーは『不機嫌なメロンパンの女王』にしたい。XX。ただの染色体の記号。XOXO。キスハグキスハグ。私の大好きな女優に心からの感謝を込めて、今の気持ちを書き留めておこう。