青色信号

雑念

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生まれ持った環境とか、フェミニンな容姿とか、選択的で無いものでジャッジされたくなくて、ユニークな服に袖を通してバランスを整える。人の真正面から目を合わせて、できるだけ考えて言葉を選ぶ。そんな毎日だった。最終出勤を目前に突発性難聴になりかけた。耳の奥がジワジワして、すかさず薬を飲んだ。私は持たざる人に出会ったとき心の奥底に沈んでいるブニャブニャの罪悪感が破ける。その中の真っ赤な液体がすぅーと広がる。自分の選択は如何なるものか。罪悪感の皮が破けないように無理をしているのではないか。そんな気持ちになることがある。耐えられなくなり、電車の中で西加奈子さんのアイを読んだ。主人公は金銭的に裕福であり両親からの理解に恵まれている女の子。それでいて賢い。しかしアイは自分のことを不幸に感じてしまう。すごくよく分かる。自分に対して主体的であるかということが当事者意識の正体だと思うんだけど、生きていると選択的なことと選択的でないこととの二種類がある。そして選択的でない部分に対して納得をしていくのは難しい。賢い子ほど納得を探してしまう。アイのルーツはシリアであり、養子だ。私はアイほど劇的な背景を持って生まれてはいない。しかし持っている/持たざるに関する具合の悪い感情は共感せざるを得ない。引け目というヤツだ。


やっと最後の会議が終わる。そう思った矢先にもう1つのプロジェクトについての話し合いを始めると言われた。そんな資料あったっけ?やらかした!そう思って冷や汗を書いていたらオモムロにこれに目を通してね、と分厚い紙を渡された。同僚からの寄せ書きだった。「モノノベさんは、一言でいうと艶やかって感じだからこれにしたの!」上司から真っ赤なラナンキュラスと野草とラフにまとめた素敵な花束をいただいた。浅野温子似の都会的で格好良い女性だ。話した覚えは無いけれど、偶然にも私の世界一好きな花。薔薇よりフンワリした花弁。様々な種類がある。私は変わり咲きの葉牡丹のような形状になるやつが特に大好物。少ししか接点の無かった人たちからも桜の紅茶やハンカチ、今後に役立ちそうな貴重な文献をいただいた。あなたがいてくれて良かったとみんなで労ってくれた。関東に来てから人の親切心を信じられなくなっていた私だったけれど、やっと人間に還った気がする。一生懸命やって良かったと心から安堵した。自分ひとりでは絶対に得ることができない幸福だ。それに浸りつつ心の中の20%くらいは結局人に慰められているな、と思った。慰められながらまた、それが受けられなかった人たちのことを考えてしまう。東京には絶望が渦巻いている。フーと深呼吸してアイをなぞる。私が私であるからこそ、皆は私を愛す。見返りが欲しくて行った行為によって報われている訳ではない。他人の壁にスカッシュすることでしかiを受け取れない訳ではない。絶対に自分の存在が先行しているのだ。アイを読むと自分の感覚を、美しさを、少しだけ信じられる。気づくと赤い塊は萎んでいた。耳の奥のジワジワが治まった。アイを与えるのが苦手だから受け取るのにも苦労する。消えものなんかじゃないし、犠牲なんかじゃないし、焦ることなんて何一つないのに。安心していいんだよ、自分にそう言い聞かせる。