青色信号

雑念

主演女優

「このお花、なんていうの」「芍薬だよ。陶子ちゃんみたいに綺麗でしょう。あなたに喜んでもらうために育てたんだよ」


母方の祖母には大変甘やかされて育った。私の為にと庭をつくり、果物や花を栽培していた。烏骨鶏や蜂の巣箱まで飼っていた。祖母の家で採れる桃やキウイやさくらんぼが大好きだった。今年も例年通り敬老の日に祖父母宅へお菓子を送った。すぐに丁寧なお礼の電話が来た。不愉快だった。違う、悲しかった。久しぶりに呪いの味がした。


祖母は写真が大嫌いだ。理由は自分の容姿が醜いからだそうだ。祖母は働いたことが無い。祖母の生まれた家は裕福でなかったからだ。祖母が女学校を出るタイミングで祖父の家から縁談が来た。内心嫌だったが、自分の親兄弟のために断れなかったそうだ。というのも事実であるが、祖父の器量の良さの影響も大きかったようだ。良い男に毎日お嫁さんに来てくれませんかと訪ねて来られ、こんなブスがハンサムな男に口説かれる機会は2度と無いから幸運かもしれないと思ったそうだ。祖父の家は地元の良いお家で、最悪なことに末っ子長男だった。結婚後は義母や義姉から馬鹿にされ、こき使われ、聞く限りでは嫁という名の奴隷だった。祖母は奴隷根性が染みついている。祖母には小さな頃から「人より良い物を持ってはいけない。人より目立ってはいけない。そんなモノは絶対嫌われるから。犬みたいにニコニコして言うこと聞いていたら可愛いがられるんだから」と繰り返し聞かされていた。子供ながらに祖母の願いを叶えてやれないことを分かっていたから、祖母に対しどこか心の距離を置いていた。嫌ですと断っても、役割決めの日に仮病で欠席しても、お遊戯会の主役や大会の選手宣誓や卒業式の目立つセリフの役は私になってしまう。私はどんなに目立たなくしようとしても出る杭なのだ。異形。子供の頃、というか大集団での生活が必要な頃はそんな自分が嫌いだった。24歳くらいになって自他の境界に折り合いが付き、やっとそういう星のものとに生まれたのだと諦めることが出来た。自分の中では随分長く時間のかかった課題だった。私の生育歴が世間的にきらきらお星さまに見えようと私にとっては大方が他人に踏まれたガラス片だ。もちろんそれなりに価値は感じているが。


私には未婚のおばが数名いる。母の姉と妹は2人とも祖母宅で暮らしている。祖母は自分のトラウマからどんな所に嫁がせるかということに過干渉になり、私の母以外の娘を手元に置いた。呪いの伝播だ。恐ろしい。敬老の日の後電話口で「陶子ちゃん、おばあちゃん、また背骨がひとつ潰れちゃったのよ。アナタのお母さんが歳を取っておばあちゃんと同じようになったらどうするの。そんなに遠くにお嫁に行って」と言われた。私を芍薬のようだと褒めるのと同じ声。不自由な時代で他人様の顔色と子供を操作することでしかアイデンティティを形成できなかった女性だ。己の欲は無く、ケア労働と子育てができることが『優れた女』だとされた時代。本当は謝って欲しいのだろうが言えなかった。一通り身体の心配の言葉かけをした後「母さんが歳を取ったらその時は私の家に住まわせるから別に問題無いよ。車が無くても不便はしない場所の方が楽しく暮らせるよ」と答えた。もちろん祖母は死んだ他人様のことまで引っ張り出してきて「そんなことをしたら、お父様方のお墓はどうやってみるの。お父様方のおばあちゃまが悲しむわ」と言った。こんな時は兄に頼るに限る。「兄さんたちが地元にいるでしょ」と答えた。すまん兄。ありがと兄。そして祖母には悪いが父方の祖母は1mmも悲しんだりしないだろう。彼女は私にそっくりだ。身内に恵まれなければ歩いて必要な友達を探しに行った。自分が欲しいものは欲しいと言って手に入れてきたタイプだ。納得が行かなければ相手が祖父であろうと思いっきりケリを入れていたのを私は知っている。


祖母の抱える生きづらさへの悲しみが薄れるならば何でも言ってくれて良い。そう思っている筈なのに、私のことを理解してもらえないと感じた時には不愉快で、クドクドと説き伏せたい気持ちが湧いてしまうことがある。しかし私のこの気持ちも、期待と悲しみによるものだ。

私の頭部はナンセンスなメロンパンを搭載しているため時々味が分からなくなる。不愉快の奥に期待と悲しみの味がすることに気付かねばならない。最も大切なのは、承認と悲嘆の欲求だけでなくきちんと大きな愛情があることに気づくことだ。他人に生き方について口出しされるのと、祖母から口出しされるのは含まれる意図の味わいが全く違う。もちろん他人が押し込んできた味のおかしな食い物だったら容赦はしない。ちなみに私はこの性分によって女らしくない女だと言われる。女として優れていないというジャッジ。笑える。男女脳の神経神話を信じているとかいつの時代だ。理屈っぽいのは私という生き物のメロンパンの溝のクセが強いだけって話なのに。

人間はアンビバレンツな生き物だから言葉にタグ付けをして仕分けて、論破して済ますのは良くない。もし味が五角形の5種類しか無いんだったら生きることに5日で飽きる自信がある。同じ言葉を吐かれても、そこに潜んでいるものは違う。見聞きしただけでは絶対に味は分からない。歯ですり潰して、舌で転がしてどんな味がするのかが重要だ。表裏が混在していることをきちんと感じていないと簡単にAIに脅かされてしまう。香料で作ったニセのメロン味と本物のメロンが同じ五角形を描いていたとしても全く違うのだ。ファンタグレープはブドウの味はしないだろう。フレーバー。奥行き。含み。ニュアンスの豊かさを感じることが人間の醍醐味。そうなると不愉快だとか悲しいだとか憂いているだとかいう感情は絶対必要なのだなと思う。大切にしてやる必要はないけれど。


この1年で2回ほど似ていると言われた女優さんが亡くなった。たった2回だから殆ど似ていない。恐らく人中の長さくらいしか共通点がない。現実はどうあれ、似ていると名前を出された時はめちゃくちゃ嬉しかった。小さな頃、彼女の主演ドラマを楽しみにしていたからだ。『ランチの女王』そして、お気に入りだった『不機嫌なジーン』。小さかったからうろ覚えだが、動物の遺伝子学の研究者が主人公だったように思う。今気づいた。私が彼女に似ているのいうのは、ルックスではなくジーンの屁理屈さと不器用さなのかもしれない。そんな意味が含まれているのか。美人と褒められたと思い込んで舞い上がったのにな。恥ずかしい。チキショゥ……。祖母から呪いを受けても、彼女の演じる意思と行動力のある女性たちは小さな私を励ましてくれた。明るく大胆な演技をしていてもどこか品が良く、爽やかさのある素敵な女優さんだった。それが彼女に対するイメージだ。

精神疾患の経験や学習の機会が無い人には理解し難いかもしれないが、どれだけ朗らかに前向きに見える人であろうと、人間はいとも簡単にバランスを崩してしまう。そんなの個人の問題といえば簡単だけど、そう考えているそこのお前も人間に生まれた以上バランスを崩す可能性があるんだぞと言いたい。だから協力することが必要なのだ。みんなもっと他人への、当たり前だと飲み込んでいる事象について疑ってみるべきだと思う。理解からしか始められないのだから。ちゃんと噛んで、舌で転がして、どんな味か感じていないと食べたことにはならないのだから。咀嚼能力が無さすぎる。歯が抜け落ちてどんどん飲み込むだけになっていく衰退国家に対してそんなことボヤいても犬に論語だが。

こんなこと言って一体私は何様のつもりだろう。王様か?それなら私のキャッチコピーは『不機嫌なメロンパンの女王』にしたい。XX。ただの染色体の記号。XOXO。キスハグキスハグ。私の大好きな女優に心からの感謝を込めて、今の気持ちを書き留めておこう。

報酬の経路

王子さまへ。てんこうしていっちゃうのかなしいです。またあおうね。あやか。

モノくんはウチら女子からしたらお助けヒーローみたいな王子みたいな存在でした。夏菜

仕事の能力も人柄も最高な王子は、どこへ行っても大成功するって、私は知っています。また戻って来たら一緒に働きたいです。庄村

 

「モノノベさんの旦那さんってどんな人なの?写真見せてよぉ」職業柄、指輪をしない人も多い。結婚なんてナンセンスって言いそうな私がしているとなると気になるのも頷ける。今日もキャルンキャルンの事務員さまに聞かれた。子犬みたいで可愛い。昨日は頑張ってチャーシュー作ったらしい。こんな可愛くて明るいおかーちゃんの手作りのチャーシュー丼とか、お子さんたちは幸せマンモス肥後もっこすどすな。「普通のサラリーマンです。BLEACHみたいな骨格してます」写真を見せると「あー!白哉様なんだけどー!いや恋次くんかなァ?NANAとかにも出てきそう!」と言われる。「私があんまりマンガ読まないことが災難に思える程にマンガっぽいんですよねー、シナガワさんは好きなマンガとかありますか?最近読んでないからオススメ募集してて……」以前の職場でネタを入れ忘れてフツーに返事をしたらすぐに会社の名前スペース年齢スペース年収をググられて不愉快だったので白哉様に感謝している。これが主婦の日常会話の世界か。この事務員さんはまじで子犬なので特に支障は無いんだけど、転勤妻になって以来余計なトラップには注意している。若い頃バンギャやってそうな人って大体BLEACH読んでるよね。

 

夫の誕生日だった。欲しいものは何かたずねると、「メンズ美容関係のものが良いな」と返事がきた。Panasonicから新発売された美顔器の機能のついたシェーバーか、保湿力のある乳液などが良いらしい。伏し目がちに「スキンケア、分かんなくて」と言う。私の鼻孔が膨らむ。私はよく夫にオサレのセンスについてお小言disを賜っているから、ここぞとばかりに教えてやった。「美顔器の初期モデルは不具合起きやすいから様子見たほうがいい、きっとそのうち耐水性高いモデルとか掃除しやすいモデルとか出てくるから」「洗顔は擦っちゃダメ、水滴拭くときも。化粧水はパタパタせずにゆっくり馴染ませないと」この男は私より肌理が整っていて、どこにも毛穴が無いのに何に悩むのか。彼は私と出会うずっと前から、私より高級なヘアケア用品を使っている。アウトバストリートメントまで。なのに、嬉々として上から目線で指示する。

 

夫の話をすると、よく「女の子みたい」と言われる。デザイナーズの椅子や輸入食器が好きな男だ。初めて部屋に遊びに行ったときは某ルビジェのソファがあって驚いた。赤がアクセントになったもの。そんな激ムズなアイテムをよくぞ使ったものだ。聞くところによると、最近の主婦はデザイナーズの椅子も輸入食器も好きな人が殆どらしい。だから夫は女子力が高いらしい。出典︰シナガワ白書2020 

 

夫は実際に会った人からは王子と表現されまくる。手紙に書かれまくる。事実だからしょうがない。摩擦を生まない関係の人にはさっくり『王子様ポジション』だと説明している。凄く年上の人にはミッチー、アラサーの人にはあずきちゃんの勇之介くん。同年代の人や若者には例えに困る。杉野くんという俳優に似ているらしい。調べたが夫はあんなに可愛らしくなく、もっと冷たい目だ。長谷川博己先生にも似ているらしい。私は残念ながら二次元に詳しくないがきっと彼みたいなキャラは沢山いる。色白で塩顔で時々かける細縁のメガネが似合う。身長はまぁまぁあって細身だけど骨はシッカリなので運動部。特進クラスのアイツ。腐女子の好物を具現化したような生き物。私が仮にクラスメイトだったら夫をモデルにした作品を書いていたに違いない。きっと絵が上達していただろう。

 

私が新人のとき初めて担当した患者さんは地元の夜業界で有名なママさんだった。初めて顔を合わせるなり、「レイコちゃん(私にそっくりな嬢と間違っている)、これだけは覚えときなさいね。結婚相手の見た目は大事よ。見た目で許せることってあるのよ。絶対に伝えないといけないと思って」と力説された。頭蓋骨を一部外し、気管から声が漏れるという稀な状態で。新卒の私は聖人的な何かを目指していたので恋人を見た目で選ぶなんて愚かしい悪の所業だと思っていた。しかし彼女の必死に訴える様は凄まじく、走馬灯というものがあるとすれば確実に出てくるレベルで脳裏に焼き付いてしまった。

 

私の夫は美しい。彼に初めて出会った時、骨のバランスに衝撃を受けた。鼻筋、輪郭、首の長さ、広い肩幅、太くて左右対称で角度の少ない鎖骨、大きな手。骨が本当にお洒落だった。そのバランス感は私にとって衝撃で、今でも頭が真っ白になった感覚を鮮明に覚えている。衝撃から3日後、私はその男と婚約した。

 

最近アタマについて勉強し直している。生物学である神経科学と医学である精神医学は違う。人類学と哲学は違う。心理学もまた違う。例えば心臓については医学界隈の人しかほぼ興味を持っていないのに、様々な分野の人たちが微弱電流が流れているブヨブヨメロンパンについてだけは大きな関心を持っていて凄いなと思う。各々が全く違った角度から色んなことを述べている。ちょっと前、遺伝子学の人と女性学の人が言い合いをしていたのを見かけた。

私が専攻していない学問によると、人間の見た目は造形が整っていようといまいと価値は変わらないらしい。しかし、私の専攻した学問によると、均整の取れた物が視覚情報として入力されると、報酬系の経路が働くという。そのものの価値は等しくあろうとも、報酬の反応には有意差がある。

 

価値観、思い、心、ナンダソレ。習ったのは神経の塊のメロンパンが気まぐれにチカチカしているということだけだ。自分の価値感は自分で考えて決めたい。高次な脳機能を活用してそう誓うのに、無意識下で報酬の経路に支配されている。均整の取れていると感じるものに悦び興奮する。

 

夫とは価値観が違う部分が沢山ある。けれど彼は私に報酬をもたらす。得られる報酬にわざわざ逆らわない。感覚的になる。ただ幸せを感じる。これからもっと時間が過ぎたら、私が彼と接する時に使う神経や伝達物質はまた変わるのだろうか。全く勉強不足だ。とりあえず来年も平和に誕生日が過ごせるといいなと思った。

ガリガリ君は1度食べて無理だった

もう私にユニクロの新作の報告と、コンビニスイーツの報告するのは辞めてください。モノノベさん服と甘いもの好きだからね。そう。好きだからその話題振ってくれてんよね。アリガトね。地元の野球チームも今いる選手誰だか知らんし。まわりも授業にも野球の無い環境だったのでね。ソフトボールはやったけども。ソフトボールと一緒とか言われても野球に興味持てません。父親に野球部と付き合うの禁じられてたおかげで今更興味持てません。

改めて自分の日記を読んだら具合が悪そうだった。いつも気にならないことが気になりだしたら疲れのサインです。fromいつかの私(精神科臨床)。そう思って3日くらいしたら案の定耳も胃も片鼻も壊れた。たぶん、風邪。

周りの人間にイラついていた。自分の専門性だけで評価して良い立場だと思っている所が最悪だ。そこをちゃあんとコントロールする教育をビシバシ受けてきて働いているので仕事の評判はすこぶる良い。しかし風邪っぴきは動物的本能が邪魔してくる。まじで面倒。

ユニクロがおしゃれだと言っているとおしゃれだと思うのか。私はユニクロの肩幅着丈胴回りが合うと思ったことがない。変に余って不格好。ほとんど着たことがない。
ジャージやカーディガンを大きめに着たことも無い。なんならジュニアサイズ。思春期の時であろうと。大きく見えるとスタイル変なやつになるから。萌え袖なんて不潔だからしたことが無い。楽だからスウェットを寝巻きにするなんて気持ちが悪い。分厚いプルオーバーのどこが楽なのだ。私は柔らかい前開きのパジャマのほうが楽だ。
コンビニのスイーツが美味しいと言っていると美味しいと思うのか。あのファットスプレッドのベタ感と過剰な甘さが?私はコンビニでお菓子を買うことがほぼない。それより銀座ウエストのドライケーキを1つ食べる方が好きだ。小川軒のレイズンウィッチでも、鎌倉紅谷のクルミッ子でも良い。東京會舘のクッキーでも。成城石井かぼちゃプリン、わたなべ牧場のプリン、新杵の白玉あんみつなんかも良い。冷たいのなら久保田のバニラやラムレーズンアイス。スリーツインズのシーソルトキャラメル。ハーゲンダッツ のストロベリーやマカダミアが好き。スタバにも星野珈琲にも行かない。清澄白河の珈琲屋から独立した個人店が近くにある。そのうち1つは好きな陶芸家さんのカップで提供される。コーヒーの味に合わせてフチの丸さを加減しているので味が分かりやすい。
住んでいる土地に恵まれているからか。それが何なのか。私と夫で選んで購入した土地だ。お金でしか価値が図れないのか。違う。わたなべ牧場のプリンなんて150円だ。持っているモノで価値を測るんじゃない。大衆と違うことに価値があるのでは無い。マックのポテトウマい。ただの感覚だ。個人の感覚に価値があるのだ。他人の感覚/個人の感覚と主観/客観それは別。主観すら分かっていないのに客観をどうやって分かるのか。

あなたにも感覚神経は備わっているのになぜそれを無視する?自分の感覚で取捨選択を繰り返すことが生きることでは無いのか。
すぐに自分のセンサーを他人に任せる人間が沢山いる。なんと呼ぼう。お任センサー人?とても怖い。よくいる「〇〇さん✕✕らしいよー」を真に受ける人間もそれに該当する。得たのは言語情報だけであり自分の五感で実体験を得た訳じゃないのに体験として感じてしまう。悪意のあるような人間じゃなくても、私の中で広義のお任センサー人に含まれる。だから無理。じゃあトモダチと夫以外の世の殆どの人が無理なのか。なんてこった。しかし私とトモダチと夫だけで世界が出来ていたらとっちらかって大戦争になるだろうからそれはダメだろうな。戦争は良くないけど分かりやすい争い以外に人間を傷つける方法って沢山あるからな。
いや。他人の感覚に支配されず個人の感覚を優先したほうが脳の機能としては低次で動物的だな。個人の感覚に支配されないほうが高次なのかも知れない。(前頭葉のどっかの腹側路だっけ?)でも、個人の感覚が無くて良いのならAIで事足りる。人間として生きている意味が無い。だから人間という動物はAIに滅ぼされるのか。低次な生き物たちでも愛に溢れているっぽいし。いや、残酷か?What is LOVEよな。What do you want Is it ネセサリィ?

やっぱ頸リンパが違和感あるから体調悪いんだろう。体調不良は頭の働きも悪くするな。はぁユニクロ似合う骨格羨ましいしガリガリ君で幸福感得られるのも羨ましい。PATOUのお帽子似合う頭の小ささもな。

nagonのサテンスカート補正に出さないとデカい。辛い。PATOUは試着できただけハッピーよ。CLYDEの帽子可愛いけど、東京で試着できるトコロ知らないんだよね。雑念ばっか活発で、使わない知識って本当に砂のように溢れてくな。風邪治ったら脳機能の復習しないとな。

池袋を過ぎたってこの愛は永遠

私は東京という場所に憧れたことが人生で一度も無かった。上京したい!は疎か観光してみたいとすら思わなかった。ディズニーランドに行きたいとも。千葉だけど。それを発言すると実家が埼玉とか千葉とか群馬とか、あと静岡や新潟から上京してきた人たちが「国民の何割はディズニーランドに行ったことがある」だの「東京はモノノベさんの地元と違って何でもあるっしょ?凄いっしょ?」と言ってきた。特に池袋の美容師、お前らだけは。

私の生まれたところは温暖な海辺の街だった。下水道の通らない、街に本屋のない、風が吹けば稲や蓮が茎の部分から大きく波打ちウェーブを描く。夕日は海に溶けるように沈む。地球の丸さを感じるところ。「田舎者なんです」というと関東人はみな山をイメージするらしくマインドセットの違いを手軽に感じられる機会だった。次の職場でも色々言われるんだろうな。「田舎」「都会」と「個人をとりまく環境」の区別がつかないのでは困る。私は中学生からひとりで電車やバスを乗り継いでいた。地下鉄や地下街の存在にも驚かない。そういえば地元もバスのりばんとこにESTNATIONがあった。新宿もそんな感じじゃないっけ。というか中2でヨーロッパに超短期留学しているので以下略。留学経験者は皆キラキラした思い出を語るが私は最悪だった。希望制の留学ではなく、私立校ならではの強制イベントだ。無邪気に楽しめるほど子供じゃなく、大人になるには未熟すぎる精神年齢だった。自分の語学力のみで見知らぬ外国の家庭で一人過ごすのは辛く、むしろ人生最大のトラウマとなった。進学も就職も地元で済ませる程。


別にファッションビルに興味は無かった。夫が東京に戻るとき、23区内で一番田舎にして。というのが唯一のリクエストだった。美しい国立公園のそばにしてくれた。国民的ミュージシャンが若い頃その池のほとりで曲作りをしていたそうな。それが美談として語られている。は?と思う。今は愛や夢や希望を語る彼らだが、初期は相当尖った歌詞だった筈だ。丸くなったのは金を持ち、不倫して、妻子を裏切ってからだ。LADとかもそうだ。何で大統領って単語はチン毛って意味って歌ってた人たちが愛とか夢とか希望を歌うようになったのだろう。どこか気持ち悪い。精神的な成熟かと言われればそうなのかもしれないが、彼らの日頃の発言には少年のような印象を受ける。やはりアーティストという所業は人並みの感覚では成せないものなのだろう。私の兄のバンドも遊び程度で終わり、メンバーたちは皆医者になった。アーティストにはなれなかった。ちなみにこの公園の池は昔お姫様が入水自殺した伝説があるそうな。綺麗だけどどこか薄気味悪い。


池袋は良い。綺麗ではないが。美味しい物好きの義理姉さまの情報でその街を知った。お姉様とは食の好みが似ている。バウムクーヘンはハリエ派。西武池袋の地下には好物の阿闍梨餅が売っている。南公園のすずめやのフワフワしっとりで甘さ控えめなどら焼きと、カリッとしたクルミの入った最中、それがある所も良い。しかし何が1番良いかというと、ミラクルに在庫があるところだ。新宿や渋谷、東京方面は可愛い服の在庫が一瞬で無くなる。が、池袋は絶対にある。久しぶりに池袋へ行くと、様々な商品が驚愕の値段になっていた。Repettoのシューズ、ルールロジェットのブラウス、mameのニットを買った。普段なら完売であろう物もSALEになっていた。Repettoのシューズが日給以下。SALEの恩恵に預かりながら今更経済状況へのダメージを感じて恐ろしくなった。仕事上春から外出を制限していたため、じつは世の中の変化を何も実感できていなかったのだ。セレクトで置いていたバロックパールのネックレスが可愛かった。お給料が入ったら買おう。失業するけど。そういえばダメージを負っているのは私もだ。


今まで池袋過ぎたってこの愛はえ・い・え・んって、どういう意味なのか良く分からなかった。古い歌だし地下鉄が出てくるから湘南新宿ラインで大宮へ帰る女の子では無い。きっと東京の男の子と遊んで、有楽町線和光市へ帰る女の子の歌なんだろう。上京してからやっとイメージがついた。私が違う場所に産まれていたら一体どんな人間になっていたんだろう。私はまだ東京のことをよく知らない。首都圏と言われる場所のことはもっと分からない。知らなくても特に困りそうにない。

求神経

人間には様々な感覚がある。5分も観察すればその人間においてどの感覚が優勢かすぐに分かる。個人的に視覚優位な人は苦手率が高い。自分も視覚優位のくせに。私はそれを職場の人間関係でも使う。いつも苦労はしない。自分を捻じ曲げてかわそうとするのってダサい、強く押し倒すのもスタイリッシュじゃない。踊れ。相手のリズムを読んで。こちらのビートに乗せて。人間は心臓のビートで生きているのでバウンス・フィールでどうにでもなる。


視覚や聴覚はハブとなる核を経由する。嗅覚は唯一それが無い。どこも中継せずに大脳皮質へ届く。取捨選択がなく1番ダイレクト。愛のために今日まで進化して愛のために今日まで退化した人間は12の神経のうち1番嗅神経をおざなりにしたらしい。なんせ香りが分からなくなってもケガはしない。


せっかくなので代官山でしか見られないものを見よう。ひとりぼっちの路上でさくさくと“代官山 香水”をググった。そういえばいつか勝田さんがインスタに上げていたヨーロピアーンな雰囲気のお店が気になっていた。住所を見ると恵比寿と書いてあった。このへんの土地勘は無いので距離感が心配になったが徒歩7分程度、駅までの道は分かっていたので苦ではなかった。

店の名はオフィシーヌ・ユニヴェルセル・ビュリー。私はジョーマローンとかディプティックが嫌いなので、意識が高い感じが鼻についたらどうしようと心配したがそんなことは無かった。半地下の店内はクラシックな内装で旅行気分になれた。天井までの高さのあるダークブラウンのガラス棚には高浮き彫りでライオンやゴブリンの顔、螺旋状の柱が彫られていた。棚と窓枠はアーチ型で統一されており、床は水色と白のチェック柄のタイルだった。路面側半分の天井は電球などなく、全面がすりガラス状の照明になっていた。西洋絵画の天界のように広い面として光が差す。戸棚側半分の重厚で禍々しいインテリアを明るく清らかな雰囲気にまとめていた。


安心、サンタ・マリア・ノヴェッラの仲間だ。と思った。店員さんも落ち着いており、店内の客が私ひとりだったためか全アイテムの説明がゆっくりと聞けてよかった。代表的なバラやすみれはもちろん素敵だったけれど自分の好みでは甘く感じた。森の香りは本当に苔むした大地の香りがリアルで、リアルすぎてつけるのに勇気が必要だと感じた。ヒノキや白檀は、街で纏うことにロマンを感じず、家の中でお香で楽しめばいいかなと思えてしまった。ハニーサックルは手持ちのアニックのル・シェブルフォイユと被った。続いてルーブル美術館コラボのシリーズを紹介してもらった。ここはお金持ちタウンなので、一度フランスに行った程度の私が「行ったんですぅ」なんて言うのも恥ずかしく、黙って聞いていた。私はルーブルで女性らしさを感じたのは他の作品で、実際にミロのヴィーナスを見た時は「でかいな」というのが率直な感想だった。その女性らしく、柔和でエレガントな香りと自分の貧しいイマジネーションのギャップに笑いそうになったのだが、笑ってしまったら変な人なので我慢した。ニケの香りも同様だった。もっと潮気の強いイメージ。そして、『庭園での語らい』をテーマとした香りを紹介された。その絵画は残念ながらあまり記憶には残っていなかった。男女の初デートのような甘酸っぱい作品。ガラスの試香瓶をパフッとすると、脳の深いところで10年近くフツフツしていた執念が一気に煮立ってブワッと吹きこぼれた。


私にはずっと大切な香りがある。高校生の時に買ったヴァンクリのファーストプルミエブーケ(ファーストではない)。ベルガモット、リリー、グリーンローズ、ジャスミン、サンダルウッドを使用したそれは、フレーバー紅茶を想像させる透明感とわずかな苦味を感じる不思議な香りだった。当時誕生日に友達からランバンのエクラ・ドゥ・アルページュやフェラガモのインカントチャーム、マーク・ジェイコブスのデイジーなどを貰った。けれどこの香りが気に入りすぎてプレゼントたちは使えなかった。それ程愛していた。どうしても忘れられない。


今までたくさんのお店を巡り、ファーストプルミエブーケに似たものを訪ねてきたが見つかりはしなかった。そもそも存在自体がマイナー過ぎて、(ファーストは有名だけど)伊勢丹新宿本店のフレグランスコーナーの店員さん1人しか、香りを知っている人に出会えなかった。その上で「あの香りに近いもの……無いですね」と言われてしまった。東京で探せば見つかると思い込んでいたからショックだった。

『庭園での語らい』はペパーミント、ベルガモット、ローズ、ムスクを使用した香りだった。かなり近く感じる。清廉な香りだ。調香師のドロテー・ピオさんという女性は自身のシャイな性格を作品と重ね合わせて作ったそうで、どうりで無駄な人肌感や刺激を感じない香りだった。ついに出会ってしまった。最高すぎて鳥肌が立っていたが必死に平静を装った。


ド重い想いを抱えながら、勢いでミロのヴィーナスも買った。イメージと合わないだのとほざきながら香り自体は好きだ。ジャスミンマグノリア、アンバーなどを使用していて温度感があるがセクシーにならない。柔和で上品。ギリギリの重さ加減が素晴らしい。ジャン・クリストフ・エロー大先生流石です。冬に付けたりベッドルームで使いたい。ついでにミントと柚子のオイルも買った。キリッとして清潔感のある香り。髪につけていたら意外にも夫にベタ褒めされた。嗅神経は大脳皮質へ直接投射される。香りの感覚刺激は取捨選択ができない。逃れられないんだよな。

代官山NY

88歳男性。92歳男性。双方日本の一次産業の発展に貢献をした大企業の会長らしい。こんなお二方が同じタイミングで来るなんて、私は引きが強い。グラードンカイオーガが連続で出てきたみたいな気分。見た目は年齢相応に皺が多いし頭髪も少ない。しかし目線の合わせ方や首の傾け方に品がある。環境因子って恐ろしい。パジャマを着ていても“紳士”という言葉がばっちり合う。所作の色気は年を重ねても変わらないんだなぁ、何人の女の人泣かせてきたのか、なんて考えてしまう。もちろんどちらの奥様も女優のような美人だ。家は田園調布と松濤。別荘は軽井沢などではなく葉山と熱海というところに年代を感じる。都心にビルを所有している。お金持ちとは表現しがたい人々。富裕層。FUYU-SOU、だ。お話しているとレトロな少女漫画の世界のような話がパンパラピヤパパと降ってきた。気に入ってしばらくの間契約してもらっていたが、covid-19の影響で終了になった。元々富裕層の方は贔屓にしている病院にVIP入院することはあるあるで、病院勤務時代も理事長VIPの方々には沢山出会ってきたのであまり驚かなかった。今回は万が一感染してもすぐに処置ができるように、とのこと。個人的には病院にいるほうがハイリスクじゃない?怖くない?と思う。超高齢の方々が次々と入院したため、私の行動制限は軽くなった。嬉しかった。

 

ずっと行きたかった代官山へ行った。予想最高気温は37℃。朝から念入りに身支度をして電車に乗った。ノースリーブのワンピースの首元に無地のシルクのスカーフを巻いた。他の場所では馴染まないバーキンも久しぶりに出した。お盆を過ぎたからサンダルは嫌で、足元はボッデガのメッシュのバックバンドシューズにした。休日に早朝から交感神経を働かすバイタリティは22歳くらいで無くなった。なのに思ったより早い時間に家を出ることができたので小さく感動した。そんなことで感動するなんて無刺激な日々過ぎてビビる。ことこと電車に揺られ、ぴかぴかの渋谷で乗り換えてモーニングの時間に松之助に着いた。誰もいない店内でゆったりチーズケーキとチェリーパイを味わった。いつもアップルパイを注文するので、今日はもうひとつの看板商品のチーズケーキにした。香りはツンとした感じがなくマイルドで品が良い、味はサワークリームの軽やかさがあり後味が重たくない。好みに合って満足した。パイは一口でチェリーのコンポートがじゅわっと広がり、その甘酸っぱさの後にバターと小麦の香ばしさが薫った。最近の思考優位で凝り固まった脳の中に、幸せな感覚がぶわゎーと漂った。前日の夜、消え物にお金を使うことはいま本当に必要か?と迷ったけれど、確実に行ってよかったと思えた。ちっぽけな私は感覚的に生きていないとAIに取って代わられる。会計時、店員さんと話していたら励みになりますと言われた。余程満足な顔をしていたのだろうな。

 

そのままつらつらとプチバトーへ向かい、目的であったパジャマとついでにトートを購入した。結婚指輪をしていると入店すぐ店員のお姉さんに「おsizeはどのくらいですか?」と尋ねられる。「わたし用なんで真ん中のコーナーがみたいです」と元気よく答えた。それはそれで嬉しそうだった。大胆な赤のハート柄のパジャマは実物もキュートでテンションが上がった。バッグは予定外だったが予想外に良かった。こういった類のロゴトートはぺらんとしたものかキャンバス地(似合わないし洋服の生地を擦るから苦手)が多かったが、プチバトーは違った。マチ無しにも関わらず2枚仕立てのナイロン地なのが贅沢に感じる。なめらかな微光沢も小綺麗に見えて良い。裏地もさりげなくボーダーで可愛らしい。制服とPCを入れるのに使う予定。

 

いくつか本を持っている坂田阿希子さんのお店は営業している曜日でなかった。振られたのは2回目。いつか絶対行ってビーフシチューとかいい感じのサラダを食べてやる。CARAMELはなんとなく覗かなかった。

 

今日のもうひとつの目的であった西澤知美さんの個展『The skin you are now in』を見にA棟へ向かった。あまにもコンパクトな移動が小気味よく、思わず笑い声が漏れた。スキップは我慢できて偉かった。入り口では手指消毒、検温、名前、電話番号の記名としっかりと感染対策がなされていた。

医療機器×化粧品のアート。ビューラーがオペのように睫毛を加工している写真はコミカルでロボットパルタみたいだった。実際のオペって生臭い感じなのにね。一番気に入ったのはガラスと真鍮のアート。ガラスの大動脈や鎖骨下動脈にコイルが走っている様は、繊細なネックレスのように見えて美しかった。心臓は細かな血管に至るまで精巧にできていた。『普段は内蔵に触れる医療機器』と『普段は表皮に触れる化粧用品』。美容医療も当たり前の時代、共感する人の多そうなテーマだった。化粧品を加療のように使用する人は沢山おり、私も思春期にその方法に助けられたひとりだ。外見にコンプレックスこそ無かったが、内的な問題から逃れるためにはやくから化粧をはじめた。生まれた土地の無知な人間も私立の中学校の無垢な人間も遠ざけたかった。1mmでも早く、自分で選択権のある大人になりたかった。思春期の正拳突きである仮病を繰り出し保健室でガラケーを触っていたある日、高等部の外部生の先輩に見つかった。先輩の暇つぶしで初めてビューラーで睫毛を上げてもらった時、本気で人生が変わった気がした。両親の離婚問題の最中人格が解離したり破瓜せず済んだのは、きちんと自己の境界を作ることができたのは、もう一つの顔を作れたお陰だ。もちろん自分の中で甘酸っぱエピソードとして収束しているので、今は自分に対しての強迫性は無いが、忘れていた葛藤や哀しみ、救われたような喜びの感情が湧き出てくる面白い展示だった。

今は美容整形、画像や映像加工のハードルが下がり、「そんなもの本当の顔のじゃない」なんて意見も見かける。しかし私は自分で選択した姿のほうが本当の姿に思える。主体性があってこそ人生の当事者だ。選択していない見た目に、後から無理くり自分の主体性をこじつけなきゃいけないのは辛い。ネットの個人的な日記にしか書けないけれど、勝手にミスコンにエントリーされて勝手に中傷された立場だって辛かった。何を言っても強者の自慢と捉えられるから絶対広い場では言わないけれど。同じ境遇の普段は特別仲良くない友人と、どうやったら周囲に嫌われずにエントリーを棄却できるか初めて個人LINEで会議したのはチクチクする思い出だ。そういえば、その友人が亡くなってもうすぐちょうど10年が経つ。お墓参りにはいけないけれど、数年振りに思い出すきっかけがあって良かった。顔が良いから得をしてると言われないために、クラスで3番目の早さで登校し、前から2列目の席に着き、中身の努力アピールをした。成績は首席になると目立つから2番目で卒業した。でも広報誌の卒業の回の表紙のセンターは私だった。負けた。


何とも言えないフワフワした気持ちで歩き、いっつも名前を忘れるセレショへ行った。ロン毛イケメンの店員さんのフラットで親切な対応に癒やされた。相手を測っているのが透けて見えない系イケメン。販売の労働という行為だけでなく、きっと心から服が好きでこのワードが出てきているんだろうなと思う接客だった。また会いたい系イケメン。

ロスト

15時、マスムラさんは鍼灸の効果について尋ねた。鍼灸師のナカタさんは相変わらず食い違った返事しかできないから、優しさでフォローしてあげた。ちなみに私は鍼灸師ではない。先々週も噛み合わない会話により別の顧客を怒らせ私がフォローした。トラブルを被るのは既に3回目。もうウンザリ。二度と助けてやんない!と思っていた。しかし私の優しさは待てばゼロ円で、放置すると強くなる優しさだった。1番薄っぺらで楽ちんなタイプの優しさ。

夕方事務所に帰ってから専務に呼び出され、「この事業を閉業することになった」と告げられた。もともと結婚前は馬鹿みたいにキャリア志向であったため正直なところ今のチルな時間の価値に心の底では不安が募っていた。(ただの社畜後遺症)もともと日本の将来への希望を信用していないゆとりなので、イキナリ失業が降り掛かって来ても絶望することはなかった。

しかし、マスムラさんに鍼灸とリハビリの効果を力説してしまった私は、人の心を弄んだようで罪悪感でいっぱいだった。また歩いてお孫さんと散歩に行けるように、これからも一緒に頑張りましょう。そんなことを言ってしまった。なぜならもう少し時間があれば達成できる見込みだからだ。持ち上げて落としてしまった。人を傷つけたことは辛い。

今の職場の短い通勤時間に慣れていた。最寄り駅より近い。事務所のエアコンのボタンを押すまでに音楽を2、3曲を聞き終わるくらいの時間。無論一度も出勤が面倒だと思ったことは無い。お昼休みに伊勢丹に行ったり、ホテルでケーキを食べたりした天国のような時間が終わる。恐怖だ。何がって、失業しても節約する自信が無いのが一番の恐怖だ。

 

失業が決まる直前に通販していたものが 届いた。EDITIONの黒のジャケット、ARROWSのトープのレザーカーデ。去年一時期ブクマしていたDESPRESのチャコールグレーのウールのワンピ、それと綿のワンピ。全部ノーカラーでストレートなシルエット。サイズ感も無駄が無くスタンダードだ。コーデを組む脳の余裕がない日のためにここに課金するのは正しい。あと、これから恩師が出張で東京に来ることがあるだろうからその時のため。肩周りが柔らかな薄手の皮革ジャケット、目が詰まっていて厚地、しかも軽いウールのワンピ、パリンと表面に光沢のある綿で着心地の良いプリーツワンピ。占めて5万という破格なのに、失業となると大きく散財したような気になってしまう。裏腹に、次の職場はきっと駅とか使うだろうしそれだと野良着で家を出るなんてできないから通勤着には良いかもなと思った。メトロに似合う感じの服だなぁ。