青色信号

雑念

代官山NY

88歳男性。92歳男性。双方日本の一次産業の発展に貢献をした大企業の会長らしい。こんなお二方が同じタイミングで来るなんて、私は引きが強い。グラードンカイオーガが連続で出てきたみたいな気分。見た目は年齢相応に皺が多いし頭髪も少ない。しかし目線の合わせ方や首の傾け方に品がある。環境因子って恐ろしい。パジャマを着ていても“紳士”という言葉がばっちり合う。所作の色気は年を重ねても変わらないんだなぁ、何人の女の人泣かせてきたのか、なんて考えてしまう。もちろんどちらの奥様も女優のような美人だ。家は田園調布と松濤。別荘は軽井沢などではなく葉山と熱海というところに年代を感じる。都心にビルを所有している。お金持ちとは表現しがたい人々。富裕層。FUYU-SOU、だ。お話しているとレトロな少女漫画の世界のような話がパンパラピヤパパと降ってきた。気に入ってしばらくの間契約してもらっていたが、covid-19の影響で終了になった。元々富裕層の方は贔屓にしている病院にVIP入院することはあるあるで、病院勤務時代も理事長VIPの方々には沢山出会ってきたのであまり驚かなかった。今回は万が一感染してもすぐに処置ができるように、とのこと。個人的には病院にいるほうがハイリスクじゃない?怖くない?と思う。超高齢の方々が次々と入院したため、私の行動制限は軽くなった。嬉しかった。

 

ずっと行きたかった代官山へ行った。予想最高気温は37℃。朝から念入りに身支度をして電車に乗った。ノースリーブのワンピースの首元に無地のシルクのスカーフを巻いた。他の場所では馴染まないバーキンも久しぶりに出した。お盆を過ぎたからサンダルは嫌で、足元はボッデガのメッシュのバックバンドシューズにした。休日に早朝から交感神経を働かすバイタリティは22歳くらいで無くなった。なのに思ったより早い時間に家を出ることができたので小さく感動した。そんなことで感動するなんて無刺激な日々過ぎてビビる。ことこと電車に揺られ、ぴかぴかの渋谷で乗り換えてモーニングの時間に松之助に着いた。誰もいない店内でゆったりチーズケーキとチェリーパイを味わった。いつもアップルパイを注文するので、今日はもうひとつの看板商品のチーズケーキにした。香りはツンとした感じがなくマイルドで品が良い、味はサワークリームの軽やかさがあり後味が重たくない。好みに合って満足した。パイは一口でチェリーのコンポートがじゅわっと広がり、その甘酸っぱさの後にバターと小麦の香ばしさが薫った。最近の思考優位で凝り固まった脳の中に、幸せな感覚がぶわゎーと漂った。前日の夜、消え物にお金を使うことはいま本当に必要か?と迷ったけれど、確実に行ってよかったと思えた。ちっぽけな私は感覚的に生きていないとAIに取って代わられる。会計時、店員さんと話していたら励みになりますと言われた。余程満足な顔をしていたのだろうな。

 

そのままつらつらとプチバトーへ向かい、目的であったパジャマとついでにトートを購入した。結婚指輪をしていると入店すぐ店員のお姉さんに「おsizeはどのくらいですか?」と尋ねられる。「わたし用なんで真ん中のコーナーがみたいです」と元気よく答えた。それはそれで嬉しそうだった。大胆な赤のハート柄のパジャマは実物もキュートでテンションが上がった。バッグは予定外だったが予想外に良かった。こういった類のロゴトートはぺらんとしたものかキャンバス地(似合わないし洋服の生地を擦るから苦手)が多かったが、プチバトーは違った。マチ無しにも関わらず2枚仕立てのナイロン地なのが贅沢に感じる。なめらかな微光沢も小綺麗に見えて良い。裏地もさりげなくボーダーで可愛らしい。制服とPCを入れるのに使う予定。

 

いくつか本を持っている坂田阿希子さんのお店は営業している曜日でなかった。振られたのは2回目。いつか絶対行ってビーフシチューとかいい感じのサラダを食べてやる。CARAMELはなんとなく覗かなかった。

 

今日のもうひとつの目的であった西澤知美さんの個展『The skin you are now in』を見にA棟へ向かった。あまにもコンパクトな移動が小気味よく、思わず笑い声が漏れた。スキップは我慢できて偉かった。入り口では手指消毒、検温、名前、電話番号の記名としっかりと感染対策がなされていた。

医療機器×化粧品のアート。ビューラーがオペのように睫毛を加工している写真はコミカルでロボットパルタみたいだった。実際のオペって生臭い感じなのにね。一番気に入ったのはガラスと真鍮のアート。ガラスの大動脈や鎖骨下動脈にコイルが走っている様は、繊細なネックレスのように見えて美しかった。心臓は細かな血管に至るまで精巧にできていた。『普段は内蔵に触れる医療機器』と『普段は表皮に触れる化粧用品』。美容医療も当たり前の時代、共感する人の多そうなテーマだった。化粧品を加療のように使用する人は沢山おり、私も思春期にその方法に助けられたひとりだ。外見にコンプレックスこそ無かったが、内的な問題から逃れるためにはやくから化粧をはじめた。生まれた土地の無知な人間も私立の中学校の無垢な人間も遠ざけたかった。1mmでも早く、自分で選択権のある大人になりたかった。思春期の正拳突きである仮病を繰り出し保健室でガラケーを触っていたある日、高等部の外部生の先輩に見つかった。先輩の暇つぶしで初めてビューラーで睫毛を上げてもらった時、本気で人生が変わった気がした。両親の離婚問題の最中人格が解離したり破瓜せず済んだのは、きちんと自己の境界を作ることができたのは、もう一つの顔を作れたお陰だ。もちろん自分の中で甘酸っぱエピソードとして収束しているので、今は自分に対しての強迫性は無いが、忘れていた葛藤や哀しみ、救われたような喜びの感情が湧き出てくる面白い展示だった。

今は美容整形、画像や映像加工のハードルが下がり、「そんなもの本当の顔のじゃない」なんて意見も見かける。しかし私は自分で選択した姿のほうが本当の姿に思える。主体性があってこそ人生の当事者だ。選択していない見た目に、後から無理くり自分の主体性をこじつけなきゃいけないのは辛い。ネットの個人的な日記にしか書けないけれど、勝手にミスコンにエントリーされて勝手に中傷された立場だって辛かった。何を言っても強者の自慢と捉えられるから絶対広い場では言わないけれど。同じ境遇の普段は特別仲良くない友人と、どうやったら周囲に嫌われずにエントリーを棄却できるか初めて個人LINEで会議したのはチクチクする思い出だ。そういえば、その友人が亡くなってもうすぐちょうど10年が経つ。お墓参りにはいけないけれど、数年振りに思い出すきっかけがあって良かった。顔が良いから得をしてると言われないために、クラスで3番目の早さで登校し、前から2列目の席に着き、中身の努力アピールをした。成績は首席になると目立つから2番目で卒業した。でも広報誌の卒業の回の表紙のセンターは私だった。負けた。


何とも言えないフワフワした気持ちで歩き、いっつも名前を忘れるセレショへ行った。ロン毛イケメンの店員さんのフラットで親切な対応に癒やされた。相手を測っているのが透けて見えない系イケメン。販売の労働という行為だけでなく、きっと心から服が好きでこのワードが出てきているんだろうなと思う接客だった。また会いたい系イケメン。