青色信号

雑念

水泳は見学します

この若さで職歴の多いこと。結婚で正統なキャリアから逸脱した。というか諦めざるを得なかった。自己都合退職ではないことに出来るので飽きっぽい私には結構便利だ。今月、ド臨床から技術へ転職した。

好き勝手に泳いでいた。乗り込んだ夫のゴンドラは私が操縦する必要が無かった。ついには揺られているだけの無刺激に病みそうになり、絶対に戻れる距離にいると約束をして、周りをバチャバチャしていた。むかし船に乗っていた時は下が目に入るなり、あの泳ぎ方はフォームがダサいだの推進効率が悪いだのと思っていた。どこかの島へ着いたら特別な人間としての価値が与えられ、幸せなれると信じていた。そのために常に急いでいた。はやく船を操縦できるように、スピードが出せるようになりたかった。しかし今は、泳いでいる人のことが分かる。泳ぐ者にしか味わえない浮遊感、しょっぱい味、水深に広がる景色の残酷さと美しさ。目的地に何があるか分からない、着く頃にはどうなっているか分からないのに速く泳ぐことに価値は無い。そう気づいた。だからもう泳ぎに飽きたとしても船には乗らない。今は自分の感覚刺激のほうが大切。例え犬かきであろうと。


なんだか成長したワタシ☆っぽく書いているが若年者の脳は学習効果を急がせるために、より不安を強く感じるようにできている。不安定に不安感を感じなくなるというのは、ただの加齢変化だ。人間もただの動物だ。それだけの話。はやく魚になりたい。


夏に協会から会報誌が届いていた。covid-19の影響で学会や細々としたライセンスの研修がオンラインになったと書いてあった。中には私の目指していたものも含まれていた。夫に概要を見せると「割に合わないね」との一言だった。確かにそうだ。好きに泳げる今は価値が見出せなかった。


技術の職場は途絶に業務量が多い。これでもcovid-19の影響で十数個減ったというのが驚きだ。所属部署の役職者が過労で2名ほど休職中だ。でしょうね。としか思わない。もともとは電カの入力ばかりだったので、10年ぶりにOutlookを使った。庶務課への返信の文字を青色で送ってしまった。オフィスワーカーの方々はまじで引くだろうな。


所属課のメンバーは穏やかで頭の回転の速い人たちだ。ホモサピ上級者。相手の気持ちを考えて、積極的に感謝の言葉を伝える。和むようなお茶目な発言をする。気を利かせて仲間の作業をフォローする。神はディティールに宿る。ニュアンスで空気はできる。それらは人を支配する。1週間勤めての感想は「平和」だ。マトモな人と接するのが久々な私は、幸せすぎて怖い。この平和をなかなか信用できないでいる。上級者たちなだけに裏でとんでもない冷戦が繰り広げられたりしていそうで怖い。迷い犬のように入職したが、冷静に考えれば新卒で入った病院よりもかなり難関な場所だ。厳しいふるいにかけられてきた人たちだ。きっと素養というやつだ。今までの誰でもOKな場所とは違う。信じるんだモノノベ。


ここに来て新しく大きなことを知ってしまった。私がずっと海だと思っていた物は実は水槽だったのだ。自分で泳げる力を身につけた私は良くやった、なんて思っていたら、その全ては枠組みの中の話だった。海だと感じているみんなは、現在進行形でその事実を認識していない。なんか怖い図式だ。

とりあえず1週間はプールサイドから見学する。なんとなく取っておいた夏の会報誌を再びめくると、水槽の監督業務に従事している者は全体の0.4%らしい。なるほど就活時に必死で内情をリサーチしても情報が見つからなかった訳だ。納得。


船の舵取りはコントロールが大変だった。自分の体で泳いでいる時は好きにできて良いなと思っていた。今度の監督業は座っているだけだ。体力が減らない。凄い。

業務内容は向いているようで褒められてばかりで大変楽しい。この出会いたちが良縁とやらだと良い。もちろん選んで行動してきたのは自分だけど。迷い犬が重宝されることもあるんだな。犬かきもやってみるもんだな。なんて思った。おばちゃん臭い。またひとつ加齢変化したってことだ。銀座へお祝いを買いに行こう。